聖書箇所 ヨハネの福音書8章48~59節 説教題 『はじめからいる神』 ■序論 信仰の創始者であり完成者であるイエス様は、永遠に存在するお方である。イエス様を信じるとは今、イエス様のみことばに聞き従うことである。 1、父を敬うイエス様(48~51節) ユダヤ人達はイエス様のことばにことごとく反発した。彼らはイエス様のことを「サマリヤ人」「悪霊につかれている」と罵った。しかし、イエス様は彼らの非難に対して、父なる神を敬い、ご自分の栄誉を求めず、すべての裁きを神に委ねる姿勢を貫かれた。イエス様は父なる神から託された真理のみことばを語られたので、イエス様のみことばを守る者は決して死を見ることはない。その報いは永遠の生命である(ローマ6:23)。信仰は神のみことばへの姿勢である。神のみことばが私達を義の道へと導いて下さると信じよう。 2、父の栄光を現わすイエス様(52~56節) ユダヤ人達はアブラハムも他の預言者もすでに死んでいるので、イエス様のみことばを守る者は決して死なない(51節)ことを受け入れられなかった。しかし彼らはアブラハムを敬い、父なる神を「私達の神」と呼んでいた。アブラハムも神から与えられた祝福の契約(創世記12:1~3)がキリスト・イエスの来臨によって成就することを信じて待ち望んでいた。イエス様十字架と復活を通して栄光を現わし、父なる神につながる永遠のいのちの道を開いて下さった(14:6)。イエス様を通して与えられる永遠の生命を希望として生きよう。 3、アブラハムが生まれる前からいるイエス様(57~59節) イエス様はアブラハムが生まれる前から存在しておられるお方である。それどころか、イエス様は永遠に存在し、世界を創造されたお方である(コロサイ1:15~18)。ユダヤ人達は石で打ち殺そうとしたが、イエス様は身を隠して宮から去られた。イエス様の先在性と永遠性は、信じない者には到底理解することはできない。しかし、人間にとって目に見える世界と今生きている人生がすべてなのではない。それらを創造して治めておられるお方を信じ、そのみことばに従うのが信仰である。私達の人生のすべてをイエス様に委ねよう。 ■結論 永遠に存在するイエス様が私達の人生を保証し、導き、平安を与えて下さる。イエス様のみことばに喜んで聞き従い、安心してお委ねして歩もう。 |