本日の講壇(2018.2.11礼拝)
聖書箇所 ピリピ人への手紙3章12~14節
説教題 「捕らえられた者として追求する」
使徒パウロの信仰告白を通して、私たちの信仰生涯の歩みについて考えてみたいと思う。
■本論
1、キリストを知っていることの素晴らしさ(7~8節)
イエス・キリストと出会う前パウロは、クリスチャンを迫害していた。しかし、復活のイエス・キリストと出会ってから、彼の価値観は根底からひっくり返された。彼はイエス・キリストが本当の神であることを知った。パウロの信念とそれを支えていたもの(家柄・受けた教育・努力)は彼にとって価値がなくなり、福音のために献身する使徒へと変えられた。
2、神の恵みによる選び(12節)
パウロは、自らが変えられるために特別な努力をしただろうか。彼は道を歩いているだけだった(使徒9章)イエス様は、パウロに一方的に現れてくださった。神からの一方的な恵みによって、彼はイエス・キリストに捕らえられた。私たちは、自分の努力以前に、神様の方から私たちを選んでくださり、捕らえてくださっているということ、神様は私たちを決して手放されないということを心にとめよう。
3、後ろのものを忘れ、ひたむきに前に(13~14節)
神が私たちを離さないなら、私たちは何もする必要がないのだろうか?私たちは、神の栄冠を目指して、神の恵みに応答するように召されている。パウロは、キリストに捕らえているからこそ、励み、走っていると言っている。「うしろのものを忘れ」とは過去のものから解放されているということである。神は私たちに、過去の成功も失敗も後ろに置いて、前のものに向かうというチャンスを与えてくださっている。神様はパウロに対してもそうであったように、私たちをどんな状況からも再出発させてくださる。だから、神の栄冠を目指して走ろう。
■結論
私たちは、キリストが私たちを捕らえて離さないということを心に留めよう。そして、神が本当に素晴らしい方だと、周りの方に伝えよう。神はそれぞれの力に応じた使命を与えてくださっている。神は栄冠を用意して私たちを待ってくださっている