本日の講壇(2018.4.1) 聖書箇所 ルカの福音書24章13~35節 説教題 『イエス・キリストの復活』 ■序論 イースター(復活節)はイエス・キリストが死人の中から復活されたことを記念する。信じる者には永遠の生命と栄光の体が与えられることを感謝しよう。 ■本論 1.ともに歩んで下さるキリスト(13~24節) エマオへの道は人生の縮図である。二人の弟子はキリストご自身と話しているにも関わらず、その目は遮られていた。キリストが復活した日曜日の午後、エルサレムではその話題で持ちきりだった。そもそも、弟子たちは、先に墓に行った婦人たちから、復活したキリストと出会った証言を聞きながらも、信じていなかった。二人の弟子の話しぶりは、状況を把握しつつも、キリストの復活という核心部分では歯切れが悪かった。十字架と復活をまだはっきり信じていない人にも、キリストは自ら寄り添い、共に歩んで下さるお方である。 2、目を開いて下さるキリスト(25~31節) 復活信仰のない復活論争を聞き、キリストは耐えかねて嘆いた。「愚かな者たち」「心が鈍くて」「預言者たちの言ったことのすべてを信じられない者たち」に対して、キリストは、すでに十字架と復活について語ったことを彼らに思い出させた。キリストから直々に聖書の解き明かしを聞いた二人は、さらに話を聞こうと一緒に泊まるように頼んだ。食事の席で、彼らの目は開かれ、キリストご自身であることが分かった。聖書全体を貫くのはキリストである。キリストはみことばを通して、まだ信じられない人の目を開いて下さるお方である。 3、復活の証人として遣わして下さるキリスト(32~35節) キリストは二人の弟子の前からいなくなった。それは、復活を信じず、キリストの遺体を盗んだ嫌疑にかけられることを恐れて隠れている十一人の弟子のもとへ、この二人を遣わすためである。この二人は、キリストの復活の証人として、エルサレムに戻って行き、証言した。聖書のみことばを通して、キリストの十字架と復活を信じる者は、心が燃やされて、このことを誰かに伝えずにはいられなくなる。復活信仰は私達の人生をどこからでも再出発させる。キリストは今日も信じる者を復活の証人として遣わして下さるお方である。 ■結論 キリストの十字架と復活は私達を罪と死と裁きから解放し、勝利を与えて下さると信じよう。キリストが今生きておられることを大胆に証言しよう。 |