本日の講壇(2018.4.29)
聖書箇所 ヨハネの福音書15章1~10節
説教題 『ぶどうの木と枝』
■序論
「わたしはぶどうの木で、あなたがた枝です。」とイエス様は言われました。枝が多くの実を結ぶために何が必要でしょうか。太陽、水、土、、、最も必要なことは木にしっかりとどまっていることです。
■本論
1、わたしにとどまりなさい(4節)
枝が木にとどまりながら多くの実を結ぶように、イエス様にとどまっている者は多くの実を結ぶことができます。枝が地面に落ちると、日ごとに色が変わり枯れ果ててしまいます。私たちも主の元から離れるとその信仰は枯れてしまいます。イエス様にとどまり続けるために、信仰生活の基盤を築きましょう。礼拝や祈祷会、主の名によって集まる場所に励んで出席すること、祈ること、聖書を読むことは私たちにとって必要な信仰のいのちの源です。
2、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら(7節)
更に具体的に、イエス様の内にとどまることは、神のことばが私たちの内にとどまることです。今も生きておられる神のことばが、私たちの内にとどまり、血となり肉となり、行動となり価値観の基準となり、考え方の基本、原点にいつもあることを指しています。とどまることは一時的なものではなく、継続した状態を現わしています。神のことばが私たちのたましいに蓄えられていることを目指しましょう。
3、わたしの愛の中にとどまりなさい(9節)
神のことばがわたしたちのうちにとどまることに加えて、わたしの愛の中にとどまりなさい、とイエス様は仰いました。「わたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。」(10節)、愛することは、決断であり行動を伴います。神を愛することは神の命令を守ることです。(第一ヨハネ5章3節)神の愛のうちにとどまることは、神のことばを守り、神のことばに従って歩むことです。
■結論 私たちは、イエス様の「わたしにとどまりなさい」という招きの声にこたえましょう。神のことばに、神の愛のうちにとどまっているならば、神は必ず実を結ぶ歩みへと導いて下さいます。