本日の講壇(2018.5.6)
聖書箇所 ルカの福音書19章1~10節
説教題 『救いがこの家に来ました』
■序論
ザアカイという取税人がイエス様に出会って変えられ、そのたましいは救われました。イエス様はそのとき「救いがこの家に来ました」と仰いました。「家」は、ザアカイの「家」、そして「人生」を指すとも考えられます。ザアカイの家に入ってこられたイエス様は、彼の人生にも介入してくださいました。
■本論
1、ザアカイについて(1-3節)
エリコの町に住む、取税人の「かしら」でした。おそらくそれ相応の財産や地位を持っていて、裕福な暮らしをしていたでしょう。しかし、その裏では人からお金をだまし取っていました。
2、イエス様をみようとしたザアカイ(4節)
興味本位、野次馬根性、真理を求めていた、、、本当の理由は不明ですがザアカイは、木に登ってでもイエス様を一目でも見ようとしました。見たいけれども面と向かってではなく、相手から見えにくい木の上から、遠巻きに、上から下にイエス様を見下ろす状態でした。
3、イエス様に声をかけられたザアカイ(5節)
木の上にいたザアカイは、イエス様に名前を呼ばれ声をかけれました。「喜んで」「急いで」いた様子は、ザアカイの嬉しさが伝わってきま。少し離れてイエス様を見ようとしたザアカイに、イエス様は「家に泊まる」と言ってザアカイの家まで来て下さいました。
4.変えられたザアカイ(8節)
イエス様に出会ったザアカイは、周囲が驚くようなことを決めました。イエス様に出会い、従来のお金に対する執着心や考え方が180度変わりました。主の前に何が罪で、何が正しくないことなのかもはっきりわかったことが大きな変化でした。
5.救われたザアカイ(9-10節)
失われた状態であったザアカイのたましいが救われて、罪を悔いるだけでなく、改まりました。イエス様が私たちの人生に介入してくださるとき、真実に対して目が開かれていき、自発的に真実に生きようと言う思いが与えられます。
■結論 イエス様は、私たちの名前、今どこにいてどのような生活環境になるか全てご存知です。そして、私たちが主に近づくのを待っていてくださる御方です。(ヨハネの黙示録3章20節)
19:2 ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
19:3 彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
19:4 それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。
19:5 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
19:6 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。
19:7 これを見て、みなは、「あの方は罪人のところに行って客となられた。」と言ってつぶやいた。
19:8 ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」
19:9 イエスは、彼に言われた。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
19:10 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」