本日の講壇2018617.)

聖書箇所 ローマ人への手紙1212

説教題 『神にささげる礼拝』

■序論

 みことばは、礼拝について私たちにどう教えているでしょうか。わたしたちにとってふさわしい、霊的な礼拝とはどのような礼拝でしょうか。礼拝の形式だけでなく、目に見えない私たちの信仰とたましいのあり方についても考えてみましょう。

 

 

■本論

1、ふさわしい(霊的な)礼拝(1節)

 礼拝は主におささげするものです。それは、神に喜ばれる、聖なる、生きたささげものです。礼拝に出席することは、物理的に教会に足を運ぶことだけでなく、霊的に私たちのたましいが主の前に出ることです。

 そして、礼拝は聖なるものです。聖(きよ)い、聖別されたものです。聖さは、神の御性質の一部であり、私たちも聖(きよ)くあることは神のみこころです(第一テサロニケ43節)聖別されたものは、聖いものと聖くないものを別にわけたものです。礼拝は聖なるもの、礼拝をささげる者も、聖い神の御性質にならう者となることが神のみこころです。

 

 

2、この世と調子を合わせない(2節)

 神にささげる礼拝は①毎週の聖日にささげる礼拝と、②私たちの生涯全体を通して主を礼拝している信仰の在り方です。この世と調子を合わせず、神の国と神の義を第一とすることは私たちが日々の生活全体を通して主を礼拝することを現わします。この世の心遣いは福音書の中では、芽が出て実を結ぶことを妨げる茨にたとえられています。(マルコ418-19節)

 私たちは神のみこころは何かを知るために、心を新たにして自分を変えなければいけません。環境が変われば、あの人が変われば、と周囲の変化を望むのではなく、自らの内側から変わらなければいけません。この世の方に流されないために、神が喜ばれることは何かを見分けるために、霊的な洞察力が必要です。神のみこころを仰ぎ見る、神を第一とする信仰の歩みを目指しましょう。

 

 

結論 わたしたちは誠実に礼拝をささげます。また、神に喜ばれることを常に見分けていくことによって、聖別された、礼拝者として備えられることができます。真実な礼拝をささげることを主が願っておられます。

ローマ人への手紙12章1~2節

12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。

12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、

12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。

12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。

12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。

12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。

12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。