本日の講壇(2018.7.1.)
聖書箇所 マタイの福音書4章1~11節
説教題 『神の子、救い主』
■序論
マタイ4章には、イエス様が公生涯に入られる直前に悪魔の試みに合われたことが記されています。この時はまだ12弟子もおらず、イエス様はお一人でした。悪魔の試みに合われたイエス様は、みことばをもって退け、罪を犯すことはありませんでした。
■本論
1、3つの試み
公生涯の前に荒野で試みに会われました。試みは私たちが弱っているとき、そして私たちが最も強い、と思っているときにもやってきます。試みにあうこと自体は罪ではありません。試みは、主への誠実さが問われる時です。
2、罪
荒野でイエス様を試したサタンは、エデンの園でエバをそそのかしたサタンです。神のことばに背き、神を試すような行動をするように、私たちに働きかけてきます。目の欲、肉の欲、プライドの欲が人を罪に引き込みます。
3、みことば
イエス様はみことばを通して、悪魔の試みを退けられました。ここで悪魔もみことばを引用しています(10節)みことばを一部分だけ強調する、又は、自分の都合に合わせて曲解することは間違いです。そして、知識として知るだけでなく、従うことが大切です。
4、試みる者
サタンイエス様が罪を犯すように、必死に働きかけましたが失敗しました。サタンにとって、イエス様の救い主としての公生涯を始めさせないこと、全人類の救い主としての働きを阻止することが目的でした。
5、神の計画
このサタンの試みを通して、イエス様が罪のない御方、神の子救い主である事実が立証される結果になりました。イエス様は、私たちと同じ様に試みを通る経験をして、尚且つ試みに打ち勝つ模範を示されました。
■結論 イエス様は、この後、伝道者としての公生涯に入りました。罪のない御方、試みに合う人々のことを理解できる(ヘブル4:15)御方です。