本日の講壇(2018.7.15.)
聖書箇所 第一テサロにケの手紙2章1~10節
説教題 『福音を委ねられた者』~パウロの福音宣教~
■序論:パウロはテサロ二ケ教会のことを思い、この手紙を書き送った。この手紙の1章~
2章には、テサロ二ケの教会への感謝と共に、パウロの福音宣教の純粋な動機や労苦について書かれている。パウロは何を願い、伝えようとしたのか。
■本論
1、テサロニケ教会での福音宣教
パウロは、第2回伝道旅行の時、マケドニアに渡り、まずピリピで、次にテサロ二ケで伝道した。福音を語った結果、信じる人々が導かれたが、暴動が起きたため、テサロ二ケを離れた(使徒17章)。その後、テモテを派遣して、テサロにケ教会の様子を聞いた後、この手紙を書いた。
信者の模範となった(1:7)テサロニケ教会の人々に対して、パウロは感謝に溢れていた。偶像から神に立ち返った人々のことを思い、その信仰があらゆる所に伝わっていたことをパウロは知っていた。(1:8-9)
2、福音を委ねられた者(4節)
パウロはまず、ピリピで苦しみにあい、辱めを受け、激しい苦闘の中を通った。しかし、労苦や苦闘が続いてパウロを苦しめても(2:9)、それは、伝道しない、もしくは福音を伝えない理由にはならなかった。激しい苦難の中でも、大胆にみことばを語り伝えた。それは、パウロ自身が「福音を委ねられた者」としての、自覚と使命を、宣教への熱意をもっていたからである。
3、福音の使者として(5、6、10節)
私たちも先に救われ、福音を委ねられた者、パウロと同じ立場にある。福音の使者としての心得、在り方、姿勢がここに記されている。主は、私たちに福音宣教の働きを委ね、託しておられる。福音宣教は、神が私たちに期待し、私たちに預けてくださった使命である。直接伝道することも、私たちの信仰生活全体を通してでも、委ねられた福音を携えて私たちが生きることを主は望んでおられる。(マタイ6:15、25:14)
■結論 |
福音宣教の動機と目的は、人を喜ばせる、人からの関心を買うことではない。神に託され、神に喜んでいただくためである。全知全能なる御方は、福音宣教のための苦闘をすべてご存知であり、私たちに期待し、福音宣教の働きを委ねられている。