本日の講壇(2018.8.26.)
説教題 『イエス・キリストの招き』
■序論:ひとりの取税人が、イエス・キリストに出会いました。レビの人生はこの時、イエス様に出会って、大きく変わりました。職業や年齢、今置かれている立場等に関係なく、神は全ての人が救われて真理を知るようになるのを望んでおられます(第一テモテ2:4)。今日の聖書箇所の中に出てくる人々とイエス様の関係を見てみましょう。
■本論
1、取税人レビとイエス様
レビの別名はマタイです(マタイ9:9)。イエス様に「わたしについて来なさい」と言われたレビは、その場ですぐに、素直に応答しました。イエス様は、取税人レビのことを知っていて声をかけられました。
2、他の取税人(レビの友人)とイエス様
レビは早速、自分の家でイエス様をもてなし、取税人や他の大勢の人たちと共に食卓に着きました。イエス様は親しい交わりを持ってくださる御方です。すべての人の主であり、求める者に対して必ず応えてくださいます。
3、律法学者とイエス様
律法学者たちは、イエス様の話されることを素直な気持ちで聞けませんでした。熱心にイエス様の話を聞きながらも、本当の意味で理解していませんでした。むしろ批評や僻み、反発する思い出いっぱいで、イエス様を批判することが多かったのです。
4、医者を必要とする人
医者を必要とするのは病人です、とイエス様は言いました。人が医者を必要だ、と思うのは自分の体調が悪いことに気づくからです。イエス・キリストが自分に必要だ、と気づくのは、自分の罪に気づくことでできる人です。
5、私たちとイエス様
今、私たちは、レビ、取税人、律法学者、誰に一番似ているでしょうか。イエス様は、私たち一人一人のことを知っておられ、レビに声をかけられたように、みことばや様々な出来事を通して私たちにも声をかけておられます。
■結論
イエス・キリストは、今も生きておられます。「罪人を招いて救うために来たのです」と言われたように、わたしたちを救うために、今日も私たちを招いておられます。