本日の講壇201892.)

聖書箇所 ヨハネの福音書9112

説教題 『神のわざが現れるため』

 

■序論:ヨハネの福音書9章全体を通して、イエス・キリストが目の見えなかった人を癒やされたことが記されています。生まれつき目の見えなかったこの人は、見えるようになり(7節)、イエス・キリストを礼拝する(38節)者となりました。この出来事を通して、イエス様が、肉体を癒やし、たましいを癒やし、救うことのできる御方であるとわかります。

 

■本論

 

1、生まれたときからの病(1-5節)

  この人は、生まれつき目が見えなかったことで多くの苦しみを抱えて生きていたことが想像できます。見えないための苦しみに加えて、人々から様々なことを言われることもあったはずです。

 

 

2、見えるようになった人(6-7節)

  イエス様の言われた通りに、行って、目を洗い、この人は目が見えるようになりました。そして、何度も周囲の人々にどのように見えるようになったのか聞かれ、癒やされたことをはっきりと証言しました(2530節)。

 

 

3、周囲の人々(8-17節)

   いやされた人、近所の人、両親、パリサイ人がヨハネ9章の中で出てきます。何度も(111525節)癒やされた経緯を周囲の人々へ説明されました。近所の人々は半信半疑(9節)、いやされた人の両親は追放されることをおそれていました(22節)。

 

4、パリサイ人(18-34節)

   パリサイ人はいやしを認めず、安息日の問題、イエス様が神のもとから来たものなのか等、議論しました。ついに、いやされた人を追い出してしまいました。肉体の目は見えていても、たましいが見えない状態、神を信じようとせず、霊的に盲目でした。

 

5、イエス様(35-41節)

   イエス様は、この人に「神のわざが現れる」ため(3節)と言われました。この人を癒やし(6-7節)、見つけ出し、信仰へと導かれました。イエス様は目の見えなかった人をいやしただけでなく、たましいを救い、礼拝者へと変えられました。

 

 

■結語 

 イエス様は見えない目を開き、全き信仰へ導いてくださる御方です。神を神と認めない、信じない状態から私たちを救い出してくださいます。

 


9:2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」

9:3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。

9:4 わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行なわなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。

9:5 わたしが世にいる間、わたしは世の光です。」

9:6 イエスは、こう言ってから、地面につばきをして、そのつばきで泥を作られた。そしてその泥を盲人の目に塗って言われた。

9:7 「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」そこで、彼は行って、洗った。すると、見えるようになって、帰って行った。

9:8 近所の人たちや、前に彼がこじきをしていたのを見ていた人たちが言った。「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」

9:9 ほかの人は、「これはその人だ。」と言い、またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ。」と言った。当人は、「私がその人です。」と言った。

9:10 そこで、彼らは言った。「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」

9:11 彼は答えた。「イエスという方が、泥を作って、私の目に塗り、『シロアムの池に行って洗いなさい。』と私に言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました。」

9:12 また彼らは彼に言った。「その人はどこにいるのですか。」彼は「私は知りません。」と言った。