本日の講壇(2018.9.2.)
聖書箇所 ヨハネの福音書9章1~12節
説教題 『神のわざが現れるため』
■序論:ヨハネの福音書9章全体を通して、イエス・キリストが目の見えなかった人を癒やされたことが記されています。生まれつき目の見えなかったこの人は、見えるようになり(7節)、イエス・キリストを礼拝する(38節)者となりました。この出来事を通して、イエス様が、肉体を癒やし、たましいを癒やし、救うことのできる御方であるとわかります。
■本論
1、生まれたときからの病(1-5節)
この人は、生まれつき目が見えなかったことで多くの苦しみを抱えて生きていたことが想像できます。見えないための苦しみに加えて、人々から様々なことを言われることもあったはずです。
2、見えるようになった人(6-7節)
イエス様の言われた通りに、行って、目を洗い、この人は目が見えるようになりました。そして、何度も周囲の人々にどのように見えるようになったのか聞かれ、癒やされたことをはっきりと証言しました(25、30節)。
3、周囲の人々(8-17節)
いやされた人、近所の人、両親、パリサイ人がヨハネ9章の中で出てきます。何度も(11、15、25節)癒やされた経緯を周囲の人々へ説明されました。近所の人々は半信半疑(9節)、いやされた人の両親は追放されることをおそれていました(22節)。
4、パリサイ人(18-34節)
パリサイ人はいやしを認めず、安息日の問題、イエス様が神のもとから来たものなのか等、議論しました。ついに、いやされた人を追い出してしまいました。肉体の目は見えていても、たましいが見えない状態、神を信じようとせず、霊的に盲目でした。
5、イエス様(35-41節)
イエス様は、この人に「神のわざが現れる」ため(3節)と言われました。この人を癒やし(6-7節)、見つけ出し、信仰へと導かれました。イエス様は目の見えなかった人をいやしただけでなく、たましいを救い、礼拝者へと変えられました。
■結語
イエス様は見えない目を開き、全き信仰へ導いてくださる御方です。神を神と認めない、信じない状態から私たちを救い出してくださいます。