聖書箇所 エペソ人への手紙2章11~22節 説教題 『キリスト・イエスがその礎石』 ■序論 阪神大震災から21年、東日本大震災から4年10ヶ月を迎えた。震災により多くのものを失ったが、乗り越えていくには何が必要か、聖書から見つけよう。
1.望みも神もない人生(11~12節) ~whyではなくhowを問う~ 11、12節ではキリストに出会う前の人生は失望、絶望状態であることを記している。しかしキリストを信じていても思わぬ災害に遭遇する際に「なぜこんなことが起きるのか」「何を希望に生きていけばいいのか」目標を失い彷徨うことがある。でも神様は決してそのまま放ってはおかず、再び御言葉によって希望を与え、立ち直らせて下さる。過去の大きな痛みに対して「WHY」(なぜという理由)を問い続けても人間には分からないことがある。大切なのは未来に向けて「HOW」(どのように生きていくか)答えをいただくことである。神様は将来と希望を与え、過去の傷を癒し、前に進ませて下さると信じよう(エレミヤ29:11)。
2.キリストに与えられる平和(13~18節)~twoではなくoneになる~ 震災は多くのものを失ったが、復興に向かう過程で、震災前に存在した人と人との間を塞ぐ壁や垣根がなくなったことに気付いた人達もいる。お互いに違いを主張することによって自分自身を確立している限りは、理解し合うことはできない。しかし同じ目標を共有することによって、お互いを認め、受け入れられることがある。イエス・キリストは約2000年前に神と人、人と人との間にある罪という隔ての壁を十字架によって取り除かれた。神と人との間に平和と和解を築いて下さったキリストの十字架が私達を一つにすることを感謝しよう。
3. キリストによる神の家族(19~22節)~othersではなくfamilyとして~ 大きな試練から立ち直り、新しく出発するためには確かな神との絆、人との絆が必要である。それをつないで下さるのはイエス・キリストである。人との関わりが希薄化する現代でも、キリストへの信仰を人生の土台とする人はどんな試練があっても決して揺るがされない。そしてキリストを礎石として築く教会は、いつまでも続く神の家族としての交わりが与えられている。当教会も震災によって旧会堂は倒壊したが、キリストが礎石となり、新会堂を建てて下さった。キリストをかしらとし、礎石とする信仰によって揺るがない教会を築こう。
■結論 教会の礎石も、私達の人生の礎石もイエス・キリストであることを告白しよう。今なお復興に向けて進んでいる方々にも確かな礎石が与えられるよう祈ろう。 |