神戸宣教協力会の歩み
小さな祈りが発端となって
神戸宣教協力会は、1976年の新年祈り会に端を発する。救霊の重荷を持ちつつ、困難な伝道活動を続けている神戸市内の10数名の牧師たちが、共に祈り合い、お互いの理解と協力を深めようという目的で集まったものである。これがいつしか神戸宣教祈祷会と呼ばれるようになり、現在に至っている。
1968年に本田弘慈先生を講師とした神戸福音クルセードが開かれた。このクルセード後に神戸連合聖歌隊が結成され「神戸クリスチャンクワイヤー」として今日まで活動している。ここから1971年、76年のクルセード開催につながっていく。
実現した伝道協力
その間、実現した協力伝道は、総動員伝道・クリスマスフェスティバル等々、枚挙にいとまがない。ケズイック神戸大会後も祝福された集いが30年以上も続いている。
1976年のクルセード以来、青年たちの若者伝道のビジョンを掲げた「コイノニア」が始動したことも特筆に値する。これが1985年発足のKYM(神戸青年宣教推進会)、そして1995年の阪神・淡路大震災後の路傍伝道へと発展して来た。
同じく1976年に誕生した日本福音放送伝道協会の「心に光を」の放送に協力して以後、放送伝道にも力を入れてきた。1982年から「神戸からハワイへ」をキャッチフレーズにハワイのKZ00局から放送伝道を開始した。そしてハワイ放送「心に光を」として現在も地元ハワイの牧師たちにより続けられている。
同年には「神戸信徒聖書学校」がスタートし、79年細くした牧師夫人会は「西神牧師夫妻祈り会」として毎月続けられている。
80年代、90年代は大がかりな国際大会が花開く。1980年大阪でのビリー・グラハム国際大会、1984年開催のレイトン・フォード国際大会。1990年にはルイス・パラウ大阪国際大会などが関西各地の教会協力で開催された。
阪神・淡路大震災を契機に
1995年の震災直後に設置された「神戸宣教協力会救援対策本部」の救援活動は日本福音同盟(JEA)の支援のもとに東(ルーテル神学校)、中(松本通教会)、西(神戸一麦教会)の3箇所で開催され、ボランティア数延べ1万人以上が国内外から駆けつけて、大きな活動を繰り広げてくれた。
震災6年後の2001年には、カトリックからプロテスタントまでが教団・教派を超えて協力して「2001年神戸聖書展」が開催された。2万人を超える神戸市民、関西各地の人々に聖書のすばらしさを紹介できた。2009年の「第4回聖書リレー朗読会」は、平素は、超教派の集いに参加しない教会も加わって盛り上がった。
2010年秋、関西フランクリン・グラハム・フェスティバルが大阪城ホールで開催。3日間で3万人の人々が集う大会となった。
宣教協力の「レホボト(拡大)」を期待して
2012年5月14日に開催された神戸宣教協力会で、次世代を担う新世話役が選出され、新体制で活動が開始された。現在、神戸宣教協力会の祈祷会が隔月に開かれており、神戸市内害の教職や信徒、さらに各企業やクリスチャン関係の諸団体の代表者も加わり、祈祷会がしだいに「レホボト(拡大)」しつつある。神戸の宣教協力のあり方が、この祈祷会から見直され、知恵を与えられ、さらに新しい宣教のビジョンが与えられることを願っている。
第6回日本伝道会議が生み出したもの
2016年9月27日(火)〜30日(金)、神戸コンベンションセンターで第6回日本伝道会議が開催された。内外から2,100名を上回る参加者があり、活気溢れる会となった。講師の説教はもとより、コイノニア(8名からなるテーブルミーティング)、継続的なプロジェクト分科会、ワークショップ、そして夜は開催地の様々なオープン集会やイベントが繰り広げられた。
伝道会議がもたらした実は、神戸における宣教協力のインフラ整備であり、その拡大であり、アナロギア6委員会の活動である。2017年は、「コイノニア・ネットワーク@神戸」という名称で、信徒の信仰教育とコイノニアを目的として神戸のアナロギアの各委員会がイベントを企画し、活動を展開する。
神戸宣教協力会は、このようにして、隔月の神戸宣教祈祷会、KYMの働きの一つであるユースリーダーズセミナー、神戸の諸教会の協力による神戸クリスマス・フェスティバル、そしてコイノニア・ネットワークを精力的に展開する予定である。
神戸の先達たちの遺してくださった「宣教協力」の伝統と歴史をしっかりと受け継ぎ、さらに前進して行きたいと願っている。主にある皆様の背後のお祈りと積極的な参加を心から期待する。
神戸宣教協力会 世話役
世話役代表 大嶋博道
副代表 大槻 紀夫
会計担当 松下勝彦
坂井純人
佐藤俊男