思い煩いを神にゆだねる

「思い煩いを神にゆだねる」ペテロの手紙第一5章6節7節

2018年新しい一年が始まりました。昨日も日曜礼拝を行いましたので、二日続けて礼拝を行うのは何か変な感じがします。昨日は2017年最後の日曜礼拝でした。そして、今日は、2018年最初の礼拝をささげます。一日しかたっていないのに、今日の礼拝は、すでに、新しい気持ちで神様の前に出るようで新鮮な気持ちを感じます。今年の年間聖句は、ペテロの手紙第一5章6節と7節「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」を選びました。

昨年一年間はどんな一年だったでしょうか。私たちは年の初めに、今年はこうしたい、ああしたいという計画を立てます。しかし、一年を振り返って、思い通り、計画通りに全てが行われた人はいないと思います。私たちは、一年の計画を立てますが、明日の事さえわからない、また、計画を立ててもその通りに行かないのが人生です。だからと言って、何も計画しないで一年を過ごすことは、無意味な一年を過ごすことになってしまいます。私たちは一年の計画を立てますが、それでも、自分の思いを優先するのではなく、その時、その時の神様の御心(計画)に従っていくことによって、人間の計画を超えた神様が備えてくださった祝福の人生を歩むことができるのです。

時として、私たちは思わぬ出来事によって、自分の立てた計画を断念しなければならないときもあります。また、思わぬ苦しみや悲しみによって神様の愛を疑る時もあります。しかし、そんなときほど、聖書を読んで神様の愛は永久に変わらないことを確認することが必要です。聖書を読むなら、苦しみや迫害の背後にも、神様の計画(御心)があることがわかります。決して神様は私たちに苦しみだけを与える方ではありません。旧約聖書ヨブ記のヨブの苦しみは、サタンが神様に挑戦してきたことがきっかけですが、神様はサタンに対して、自分の正しさを証明するためにヨブに苦しみを与えたのではありません。ヨブはこの苦しみを通して、神様との親しい関係を持つことができました。また、イスラエルの国が滅ぼされたのは、彼らの不信仰が原因ですが、神様はイスラエルの国を滅ぼし、彼らを捕囚としてバビロニヤに連れてくることによって、神殿礼拝から会堂での礼拝へと導かれました。また、以前、出エジプト記1章で学んだように、エジプトの王がヘブル人を迫害しましたが、この迫害が無ければ、イスラエルの民はエジプトを出ることができなかった(出エジプトが行われなかった)かもしれません。彼らは迫害の中、神様に助けを求め、神様がアブラハムに約束されたカナンの地を目指す決心をしたのです。

ローマ人への手紙8章28節に「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とあります。この「すべて」とは、良いことも、悪いことも、迫害や失敗も含めてすべてのことを指しています。神は私たちの失敗や迫害さえも益に変えてくださるという意味です。昨年のクリスマスに、私は大きな失敗をしてしまいました。クリスマスの案内を新聞広告に入れて配布しましたが、上新井3丁目ではなく、小手指3丁目に配られていました。どうも、私が、上新井3丁目ではなく、間違えて小手指3丁目と伝えてしまったためのようです。12月3日の日曜日、上新井3丁目にクリスマスの案内が新聞広告に入っていなかったとあるかたに言われました。また、小手指3丁目の新聞にクリスマスの案内が入っていたことを知らされた時、私は愕然として落ち込みました。まさかとは思いましたが、私の言い間違い以外に起こる現象ではありません。私は深く落ち込みました。その時、一人の方が「それも神様の計画かもしれませんよ。」と言われました。そのことばを聞いて私は救われました。自分の失敗を無しにするのではなく、この事(失敗)も神様に委ねようと思ったからです。神様は万事を益にしてくださる。その言葉を信じようと決心したのです。もし、その一言が無ければ、自分の失敗を引きずっていたかもしれません。前向きに心をきりかえるためにはその一言が大きな力となりました。

以前、クリスチャンになる前、私の性格はネガティブ(否定的)でした。失敗が怖くて、人前で発言したり、目立つことは嫌いでした。いつも人の目を気にして、自信のない臆病な性格でした。しかし、クリスチャンなって、ポジティブな性格に変えられました。それは、神様と出会ったからです。私は不完全で失敗の多い者ですが、神様はそれを知った上で、私を選んで救ってくださいました。また、神様はそんな弱い私を助けてくださるお方だと信じました。それから、人の目や人の批判を恐れることなく、物事を積極的に受け入れることができるようになりました。

以前、カウンセリングの学びで「不安」ということについて学びました。誰しも不安な気持ちは持つものですが、それが病的になり、不安が長引くことによって生活に支障が出る場合は、不安障害と診断されることがあります。不安障害には、全般性不安障害、パニック障害、恐怖症性障害、強迫性障害、ストレス障害などがあります。新しい環境で生活しようとするとき、誰しも不安を覚えます。不安はこれから起こることへの先取りとして、危険や失敗に対処するために必要なことです。しかし、それが過度になり、起こるはずのないことまで、または、先の先のことまで心配し始めると不安な感情が長期化し、心配性を超えて心の病へと発展することがあります。

この不安を解消するためにはどうしたらよいでしょうか。私の場合、自分の弱さを認めて神様に全てを委ねることを学びました。委ねるとは、良いことも悪いことも神様の御手の中にあることを信じてそれを受け取るように心がけることです。失敗や病気さえも神様の御手の中にあることを信じるならば、神様が全てを益に変えてくださることを信じることができます。2018年が始まりました。今年、どのようなことが起こるか誰もわかりません。苦しみや悲しみがあるかもしれません。または、病気をするかもしれません。それでも、神様の愛は変わりません。苦しみの先に、悲しみの先に、神様の祝福があることを信じましょう。また、病気さえも神様から与えられたサインかもしれません。しっかり休んで、神様の時を待ちましょう。また、神様にゆだねましょう。神様の計画は時に叶って美しいからです。