イサクとリベカ・神に選ばれた夫婦

「イサクとリベカ・神に選ばれた夫婦」創世記25章19節~26節

先週は、エジプトの女奴隷ハガルとハガルの子イシュマエルについて学びました。ハガルはアブラハムの妻サラに仕える女奴隷でした。サラ自身が高齢となり、もう子を産むのが難しいと考えたとき、サラは自らの意思で夫アブラハムに側室としてハガルを差し出しました。ハガルはアブラハムの子を身ごもり、男の子を産みました。そして、アブラハムは生まれた子をイシュマエルと名づけました。しかし、その後、サラ自身も高齢(90歳)で身ごもり、男の子を産みました。二人は生まれた子にイサクと名づけ、大切に育てました。アブラハム夫妻はイサクが乳離れしたのを祝い盛大な宴会を催しました。その時、サラはイシュマエルが自分の子イサクをからかっているのを見てしまいました。サラはイサクの将来を心配して、ハガルとイシュマエルを家から追い出すようにアブラハムに願いました。イシュマエルもアブラハムにとっては自分の息子ですから、アブラハムは、悩みましたが、神様からサラのことばに従ってハガルとイシュマエルを家から追い出すように言われたので、アブラハムは、二人にパンと水の入った皮袋を与えて家から追い出したのです。

1、イサクの性格と信仰。

イサクは、アブラハム夫妻が高齢になってから神様から与えられた大切な子どもです。しかし、創世記22章で神様は、アブラハムにイサクを全焼の生贄としてささげなさいと、試練を与えられました。翌朝早くアブラハムは誰にも相談することなく、イサクを連れて、神様が示す地へと向かいました。この場面はアブラハムの信仰を試す有名な個所ですが、ここで、イサクがたきぎを背負って父アブラハムに従う姿を見ます。また、イサクがアブラハムを祭壇に縛り付ける時、イサクが抵抗したとか、逃げたという表現が記されていません。イサクは、父アブラハムを信じて、父アブラハムに自分のいのちを委ねたのではないでしょうか。ここに、イサクの性格と信仰が現れているように思います。神学校に入った時、PKという言葉を聞きました。サッカーのPKではなく、牧師の子ども(pastor’s kids)の略語です。彼らは生まれる前から、祈られ、子どもの頃から教会で生活していました。そのような恵まれた環境で育てられた子に共通する性格があります。彼らは、おとなしく、礼儀正しく、安定した性格を持っています。また、人と争うようなところもありません。堀先生の説明では、幼児期に両親の愛を十分に受けて育てられると、人を信頼し、愛し合う関係を結びやすい性格になると言われました。イサクはまさにそのような性格でした。ある時、ゲラサ地方で生活している時、ゲラサ人の嫌がらせで、自分たちの井戸がふさがれたときがありました。イサクはゲラサ人と争うことなく、他の井戸を掘ったとあります。当時、井戸は生活に欠かせない大切なものです。普通なら、ゲラサ人と争う所ですが、イサクは争いを避け、他の地に井戸を掘ったのです。ここにイサクの性格が表わされているように思います。

2、イサクとリベカの結婚。

アブラハムは、妻サラを失った後、イサクの結婚のために、自分の生まれ故郷に、自分の信頼するしもべを遣わしました。そして、しもべはナホルの町に着くと、神様に祈りました。創世記24章12節~14節「私の主人アブラハムの神様、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」彼が言い終わらないうちに、リベカが現れ、しもべが祈った通りに、らくだにも水を飲ませました。アブラハムのしもべは神様の導きを信じて、リベカに旅の目的を告げ、アブラハムの子イサクのお嫁さんになるように申し入れたのです。リベカは家に急いで帰り、兄のラバンにこの事を告げました。ラバンはアブラハムのしもべを、丁重に迎え入れ、しもべの話を正式に受け、リベカの意思を確かめると、ラバンは妹のリベカをアブラハムのもとに、イサクの奥さんとして送り出したのです。

3、エサウとヤコブの誕生。

イサクとリベカ夫妻にもなかなか、子が生れませんでした。イサクは自分の妻のために祈ったとあります。そして、結婚20年目にして、リベカは子を身ごもったのです。しかも、それは双子でした。リベカは双子がお腹の中でぶつかり合うのを心配して、主の御心を求めたとあります。23節「すると主は彼女に仰せられた。『二つの国があなたの胎内にあり、二つの国があなたから分かれ出る。一つの国は他の国より強く、兄が弟に仕える。』」そして生まれたのが長男エサウ。そして、次に生まれたのがヤコブでした。リベカはこの神様のことば、預言を夫イサクに伝えたのでしょうか。イサクは見た目もたくましく、狩りが好きな長男エサウを愛し、彼を部族の後継者と考えていました。しかし、妻リベカは、神様のことばを信じて、ヤコブこそ部族の後継者に成るべきと考えていました。二人は成長し、兄エサウは狩りが好きな野の人となり、ヤコブは家にいて、母親の手伝いをする穏やかな人となり天幕に住んでいたとあります。そして、イサクはエサウを愛し、リベカはヤコブを愛するという夫婦でありながら、互いに偏って子どもたちを愛するようになってしまいました。その結果、この神様に祝福された家庭が崩壊してしまったのです。弟のヤコブは狡猾な者となり、お兄さんの弱みに付けこんで、長子の権利を奪ってしまいました。また、父イサクの目が弱くなり、族長としての祝福の祈りをエサウにしようとした時、リベカはヤコブに兄に成りすましてその祝福を奪うようにそそのかしたのです。ヤコブは父をだまして、兄の祝福を奪ってしまいました。それを知った兄のエサウは弟ヤコブを恨み、父が亡くなった後に、ヤコブを殺してやろうと考えました。エサウのヤコブに対する殺意を知ったリベカは、ヤコブを助けるために、自分の兄ラバンのもとに身を隠すように言いました。ヤコブは母のことばに従い、一人で家を出て、叔父さんのラバンのいる町へと旅立ったのです。この後、20年後にヤコブはエサウのもとに戻りますが、その時にはすでに母リベカは亡くなっており、二度と出会うことは出来ませんでした。

神様に祝福された家族が、後継者をめぐって、意見が分かれたために、家庭が崩壊し悲劇を招いてしまいました。イサクはなぜ、見た目だけで、後継者としてエサウを選んでしまったのでしょうか。また、リベカはどうして、神様のことば(預言)を信じて、神様にゆだねることなく、夫をだまして、ヤコブに祝福の祈りを兄から奪わせてしまったのでしょうか。神様に選ばれても、私たちは罪人であり、不完全な者です。神様はそんな不完全な者を愛して、助け、修正してご自身の計画を完成されることを覚えます。どんな家庭にも問題はあります。だからこそ、私たちは神様に祈り、自分自身を変えていただかなければならないのです。