「ペンテコステと教会の誕生」

「ペンテコステと教会の誕生」 使徒の働き2章1節~13節

 使徒の働きとタイトルが付いていますが、使徒の働きの主役は聖霊様です。聖霊の導きによって使徒たちが働いたお話が使徒の働きです。また、使徒の働きの前半が教会の誕生のお話です。そして、その中心人物がペテロです。後半は異邦人伝道(世界宣教)のお話になり、その中心がパウロになります。

 今日は、前半の教会の誕生について学びます。教会と言う言葉は、新約聖書のギリシャ語ではエクレシアということばが使われています。その意味は、呼び集められた者の集まりを指しています。それゆえ、教会とは建物を指すことばではなく、イエス様を主と告白する者の集まりということができます。現に、新約聖書では、家の教会のように信徒の家に集まって礼拝をしていました。

1、ペンテコステについて

 使徒の働き2章1節に「五旬節」とありますが、ペンテコステとは、五旬節の意味です。ユダヤ教には、三つの大きなお祭りがあります。過越しの祭り、仮庵の祭り、七週の祭り(初穂の祭り)。この三つの祭りの時は、ユダヤ人の成人した男性は、宮詣をしなければならないと定められていました。この七週の祭りの日が、五旬節ペンテコステの日に当たります。七週の祭りは、過越しの祭りから数えて七週目に行われる祭りという意味です。イエス様が十字架に付けられ、殺されて50日目にあたります。2章5節「さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが」とあります。多くのユダヤ人たちが、この日、神様を礼拝するために神殿に集まっていました。弟子たちは、人々を恐れ、一つの部屋に集まって、お祈りをしていました。また、イエス様の約束を信じて、聖霊が降る時を待っていました。使徒の働き2章2節~4節「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」とあります。弟子たちは、自分も知らない外国語でしゃべりはじめたのです。ここで、弟子たちは自分の知らない外国語で、何をしゃべっていたのでしょうか。11節に「わたしたちのいろいろな国のことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」とあります。聖霊は、弟子たちの知らない言葉で、彼らを通して、神様の大きなみわざを語らせたのです。これは、後に始められる、世界宣教(異邦人伝道)を預言した聖霊の働きではないかと思われます。

 しかし、彼らのしゃべる外国語がわからなユダヤ人たちは、弟子たちの姿を見てこのように批判しました。13節「しかし、ほかに『彼らは甘いぶどう酒によっているのだ。』と言ってあざける者たちもいた。」とあります。そこで、ペテロは旧約聖書のことばからこの状況を説明しました。15節「今は朝の九時ですから、あなたがたがの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。」朝の九時とは、ユダヤ教に定められたお祈りの時間です。そのような大切な時間に私たちはお酒を飲んで酔っ払うことはないと説明し、旧約聖書のヨエル書を引用して、ヨエル書で預言している17節~21節「終わりの日に、神の霊が注がれ、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。わたしのしもべにも、はしためにもわたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。・・・しかし、主の名を呼ぶものは、みな救われる。」その預言が今、現実に起きていると説明したのです。そして、ペテロは群衆に対してイエス・キリストが救い主であること、また、ユダヤ人の指導者たちがそのイエスを十字架に付けて殺したこと、また、イエス・キリストが死より三日目に復活して天に昇って行かれたことを大胆に説教しました。(22節~37節)

2、ペテロの説教を聞いた人々の反応

 ペテロの説教を聞いた人々は、37節「人々はこれを聞いて心刺され、ペテロとほかの使徒たちに、『兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。』と言った。」とあります。そこで、ペテロは二つのことを群衆に話しました。38節「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪の赦していただくためにイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」41節「そこで、彼らのことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」とあります。イエス様が捕らえられ殺された時、弟子たちは人々を恐れ、百二十名ほどの人々が一つの部屋に集まっていました。それが、ペテロの説教を聞いて、三千人が弟子に加えられたのです。この時が教会の誕生と言われています。また、彼らは集まって何をしていたのでしょうか。42節「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」とあります。

3、教会とは何か

 では、教会とは何でしょうか。教会エクレシアという言葉は、建物を指すことばではなく、神様によって呼び集められた人々の集まりを指すと言いました。パウロはコリント人への手紙第一12章で教会を一つの体に例えて説明しました。14節~27節。体は一つですが、色々な器官が助け合って一つの体となっています。それと同じように、教会は一つですが、その中に集められた一人一人によって構成されています。男性、女性、若い人、高齢者、また、仕事も様々です。また、その与えられている賜物もさまざまです。しかし、それが互いに認め合い助け合うことによって教会が成り立っています。それゆえ、教会に無駄な人は一人もいません。ひとり一人この教会の大切な一部として神様に呼び集められているからです。特に22節「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見なされる器官が、かえってなくてはならないものなのです。」とあります。堀先生が以前言われたことばに、「私の目指す教会は、弱い人が何の遠慮もなく喜んで参加できる教会です。」素敵なことばだと思いました。

 聖霊が降って何が変わったのでしょうか。(1)聖霊が弟子たちに宿り、彼らは大胆にイエス・キリストの復活を証しする者になりました。(2)弟子たちが助け合う教会が誕生しました。それは、二千年前の昔のお話ではなく、今も同じです。イエス・キリストを救い主と信じることによって聖霊が私たちにも下り、聖霊が私たちと共にいてくださいます。旧約聖書の時代は、特別に選ばれた人と神は共におられました。しかし、今は、聖霊なる神が、イエス様を信じる人と共に永遠にいてくださいます。また、ユダヤ民族は国を失い、神殿を失っても、ユダヤ人としての民族性を失いませんでした。その理由として、聖書と会堂礼拝があると言われています。ユダヤ人は会堂に集まり、聖書を学ぶことのよって、自分たちの民族性を失いませんでした。私たちは、ユダヤ人の会堂から、礼拝のスタイルと受け継いでいます。それゆえ、私たちは教会と言う集まりを通して、互いに助け合い、信仰を深めているのです。神様は私たちの信仰を守るために、聖霊様と教会を与えてくださいました。これからも教会を通して、神を礼拝し、共に成長していきたいと思います。