「神の時と神の御手」

「神の時と神の御手」 ローマ人への手紙8章28節

私たちは、偶然に何の計画もなく生まれた者ではありません。一人一人に神様の愛と計画があって生まれた者です。それゆえ、その時と場所にも神様の計画があります。神学校の先生から聞いた証ですが、先生は牧師家庭に生まれました。教会の隣には大きなお屋敷が建っていて、同じ時期に、先生と共に隣の大きな家にも男の子が生まれました。隣近所でしたから、小さいときから一緒に遊び、小学校も一緒に通ったそうです。また、隣に遊びに行くといつも、おやつにビスケットやめずらしいお菓子が出され、そのお友達がうらやましくて仕方なかったそうです。どうして自分は貧しい牧師の家庭に生まれたんだろう。少しずれて生まれていたら、自分はお金持ちの子に生まれることができたのにと、いつもうらやましく思ったそうです。その後、先生は神学校を卒業し、牧師として教会で働き、神学校で教えるようになりました。今では、牧師の家庭に生れたことを感謝していると言っておられました。

モーセが生まれた時は、エジプトの国において、ヘブル人への迫害が一番厳しい時でした。エジプトの王パロはヘブル人の人口がどんどん増えるのを恐れ、ヘブル人の男の子が生まれたらナイル川に投げ込んで殺さなければならないと命じました。モーセの両親は何とかモーセを助けようと、ひそかにモーセを隠しますが、次第にモーセの鳴き声が大きくなり、これ以上隠すことができないと感じました。そこで、モーセの両親はモーセの命を助けるために、モーセをかごの中に入れて、ナイルの川岸に置くことを決心しました。誰かに拾われて助けられることを願ったのです。モーセの両親がモーセを入れたかごをナイル川の岸に隠すと、そこに、エジプトの王の娘が水浴びに出てきて、そのモーセの入ったかごを見つけました。そして、その子をかわいそうに思い、自分の子として育てる決心をしました。それを見ていたモーセの姉ミリアムは、エジプトの娘の前に姿を現し、その子のためにヘブル人の乳母を見つけてきますと言ってモーセの母を連れてきたのです。そこで、モーセは実の母のもとで乳離れするまで育てられました。その後、エジプトの王パロの娘の子として王宮に迎え入れられ、40歳になるまでそこで生活しました。モーセという名は「引き出す」という意味の名で、エジプトの王の娘は「水の中から、私がこの子を引き出したから」モーセと名づけたとありますが、神様はモーセを「エジプトからヘブル人を引き出す」という意味で、モーセを誕生させられたのです。

モーセが40歳になった時、モーセは自分がヘブル人であることを知っていました。そして、ヘブル人の苦しみを見て、同じ同胞を助けたいと思いました。おりしも、モーセは、エジプト人がヘブル人を打っているのを見て、ヘブル人を助けようとして、エジプト人を殺してしまいました。モーセはそのエジプト人を砂の中に埋めたとあります。ところが次の日、ヘブル人同士が争っているのを見てその仲裁に入ると、昨日エジプト人を殺したことがすでに知られていることを知り、エジプトの王を恐れ、モーセは荒野へと逃げていきました。モーセがヘブル民族を助ける時はまだ来ていませんでした。モーセはまだまだ学ばなければならないことがたくさんあったのです。神様の時はまだ先にありました。

神様がモーセの前に現れたのは、モーセが荒野で、羊飼いとして40年働いた後でした。モーセは80歳になっていました。出エジプト3章9節で神はモーセにこのように命じました。「今、見よ。イスラエルの子らの叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプト人が彼らを虐げている有様を見た。」10節「今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」モーセは神様に何と答えたでしょう。11節「私はいったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」モーセにしてみれば、80歳の私に何ができますか。ということではないかと思います。40年前の40歳の時ならまだしも。あの時は、エジプトの王パロの娘の子という地位と権力、若さもありました。しかし、今は、80歳で、ただの羊飼いでしかありません。その私に何ができますか。しかし、神様の時は、今の80歳の時でした。モーセが40歳の時ではありませんでした。イスラエルの民男性だけで60万人をカナンの地に導くためには、荒野での生活に精通した者でなければなりません。そのために、モーセの荒野での40年の生活が必要だったのです。また、自分の弱さを悟り神様に従う信仰を持つためには、神様はモーセが80歳になるまで待たなければならなかったのです。この一つ一つの準備が整って初めて、出エジプトという神様の奇跡が行われたのです。

私は、25歳の時に教会に招かれて、クリスチャンになりました。クリスチャンになり初めのころ、どうしてもっと早くに神様と出会えなかったのかと考えたことがあります。中学生のころ、自分はなぜ生まれたのか、なぜ、人は生まれ、死んだ後、人はどこに行くのか悩んだ時代がありました。そんな時に、クリスチャンの友人や聖書に出会っていたらもっと早くにクリスチャンになったのにと思いました。しかし、神様は私が25歳になるまで待たれました。25歳で渋谷の教会に招かれ、サムエル先生との出会いが私の人生の転機となりました。洗礼を受けて、しばらくすると、住んでいたアパートの近くに教会があるのを発見しました。渋谷の教会にはアパートから電車に乗って40分ぐらいかけて通っていました。もしアパートの近くの教会に行っていたら、クリスチャンにならなかったかもしれないし、牧師にならなかったかもしれません。渋谷の教会でサムエル先生との出会いが私の人生を変えたのです。その背後に神様の計画があったからです。私たちの人生は、神様と出会ってから神様の働きがあるわけではありません。私たちの価値は、私たちの能力や功績にあるのではありません。神様が私たちを愛しいのちを与えてくださったことによります。そういう意味で、私たち一人一人は神様の目に高価で尊いと言うことができます。神様は私たちを祝福するためにいのちを与えてくださいました。それゆえ、私たちはたとえ失敗したとしても神様から見捨てられることはありません。たとえ、私たちが失敗したとしても神様の計画は変わらないからです。パウロはこのことを神は「万事を益にかえてくださる」と教えています。モーセは40歳の時に自分の力で、ヘブル民族をエジプトの苦しみから解放しようとしました。しかし、それは失敗し、荒野へと逃げていきました。神様はモーセが失敗しても、彼を退けませんでした。神様は荒野においてモーセが自分の弱さに気づく時まで、40年待たれたのです。また、羊飼いとしての生活を学ぶために、40年待たれたのです。私たちに対しても同じことが言えます。失敗しない人はいません。神様は私たちが失敗しても、私たちを退けることなく、私たちが神様に助けを求めるなら、いつでも、私たちを受け入れ、私たちを立ち直らせ、立ち上がることができるように助けてくださるお方です。神様の私たちに対する計画は変わることはありません。たとえ、時間がかかったとしても、神様は私たちを祝福してくださるお方です。モーセはカナンの地に入ることができませんでした。これをどう見るべきでしょうか。「かわいそうだと考えるでしょうか」しかし、神様は最後、モーセに山の上からカナンの地を見させてくださいました。モーセはそれで満足したのではないでしょうか。その後、モーセは亡くなって、神様のもとに引きあがられました。モーセは自分の務めをなし終えて、神様のもとへ帰って行ったのです。私たちもいつか終わりの時を迎えます。私たちもモーセのように、神様の計画をなし終えて、天におられる神様のもとに迎え入れられたいと思います。