貧しい人や生態系維持のために

公開済み 10月 26, 2014 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜一部を残して〜

長い間、気になっていた教会裏庭の草刈りをしました。デニムの上下に目にゴーグル、頭にはタオルの上に帽子を被り、手に軍手をして草刈機を肩からかけて、裏庭に出ました。恰好はバッチリですが、何せ経験が浅いのと老体で、思うように進みません。

草がかなり長くなっているのと、蔓が庭中を縦横無尽に走っているので、草と蔓が草刈り機に引っかかり、思うように草刈機を振ることができません。それでも何とか物置小屋までの間の草を刈ることができました。

庭には教会員の浜田さんがまだ元気なころに植えてくれたミカンの木と柿の木があります。彼が教会にあまり来られなくなってほとんど手入れがされていないので、ミカンもあまり生らなくなり柿の木も何となく元気がなくなったように感じていました。

家から裏庭を見ると、ミカンの木に隠れて向こう側に柿の木が少し見えていましたが、その枝も細く葉も黄色くて半ば枯れているように見えていました。今年は柿の豊作で、他所の柿の木にはたわわに実がなっているけど、家に柿の木には長く肥料も上げていないし、放っておいたので実がなっていなくてもしょうがないと思っていました。

しかし、草刈りをしていて柿の木の所に来てふと見上げると、なんと柿が9個もの実を結んでいました。それも決して小さい実ではなく、もう十分食べられそうな黄色い色をした美味しそうな大きな柿の実でした。小さな木なのに上出来です。9個のうち最も熟れている1個だけを残して後をもぎ取りました。

聖書で神様が「麦を収穫するとき落ち穂を拾い集めるな。それは貧しい者たちのために残しておきなさい。」と言われました。それは神様の貧しい人たちに対する配慮でありました。

それで、イスラエルでは、貧しい人たちは収穫の後の畑に入って落穂ひろいをしてそれで糧を得ていました。イスラエルの民はその命に従ってブドウでもオリーブでもすべてを収穫するのではなく、貧しい人のために少しを残しておくのが習慣になっていました。

私は貧しい人のためではなく、鳥のために一つだけ残しました。以前は柿が熟れてそろそろ収穫しようと思うと、どこからともなく鳥たちがやってきて熟れたものからくちばしでつついて食べていたのを思い出したからです。

さて、日本にもそのような習慣が昔からあるかのように、昔は柿の木やミカンの木に少しだけ取り残しがあるのをよく見かけました。

また、今では亀の卵を取って食べることは禁止されていますが、私が少年時代、屋久島ではよく亀の卵を取って食べていました。学校への登校途中に海辺の砂浜を通って亀の卵を取って来て、授業中にこっそり友達に回し与える猛者もいました。もちろん私もその恩恵にあずかりました。

しかし、彼らは亀の卵を取るとき、全部はとらないで必ず一部を残して埋め戻していました。それは無言の内に決められた規則みたいなものでした。当時は卵を取る人はいましたが、それでも砂浜にはたくさんの孵化した子亀が海に向かって歩んだ足跡が残されていました。

しかし、やがて業者が入り、卵の乱獲が始まったので、海亀の保護のために卵を取ることが禁止されました。

貧しい人々のために、収穫物の全てを取り尽くさないこと、また生態系維持のために乱獲を戒める事が、昔は暗黙の了解とされていたように思います。

あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。申命記24:19~21


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