日本人の美徳

公開済み 11月 19, 2014 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜トルコの教科書にも載っている日本人の行動〜

先日、本を読んでいたら、次のようなことが書かれてあり、感動しましたので、その感動を皆さんと分かち合いたいと思い紹介させていただきます。

 

1985年、イランのテヘラン空港に日本人200人以上が立ち往生した事件がありました。当時イラン・イラク戦争の真っ最中で、イラクのフセイン大統領は、その年の3月、テヘランの上空を航行する飛行機はいずれも撃墜すると声明を出し、その期限は3月20日でした。

各国は競って救援機を出してイランにいる自国民を救出しました。しかし、日本は救援機の安全が確保されないと言う理由で救援機を飛ばすことは出来ませんでした。それで、現地にいた日本人215人はテヘラン空港で立ち往生しました。

期限の時間が刻々と迫ってきます。「もうだめだ.万事休す」「我々は日本から見放され、戦場に取り残されたのだ」と思われたその瞬間、救援機が飛んできました。それは、日本の飛行機ではなく、トルコの航空機でした。トルコの救援機が危険を冒して日本人の救出に来てくれたのです。それで、日本人全員が無事脱出できたのです。

それではなぜ、トルコの人たちが危険を冒してまで、日本人を助けに来てくれたのでしょうか。それは、

1890年トルコから軍艦エルトゥールル号が使節団を乗せ日本にやってきて友好を深めました。しかし、帰りにエルトゥールル号は和歌山県の沖合で台風に遭い沈没してしまい600人近くが死亡しました。そのとき日本の大島の島民たちが命がけで生存者救出に奔走し、69名の命が助かりました。

島民たちは生存者を助けると彼らを背負って断崖をよじ登り、震える身体をひと肌で温めて、精根の限りを尽くしました。また島民たちは自分たちの非常用の食糧を持ってきて彼らに食べさせました。それで小さな島はたちまち食料が欠乏してしまいました。そこまでして彼らはトルコ人たちを助けたのです。

そののち、生存者たちは病院で手厚い看護を受け、日本の船に乗せられて無事トルコに帰国しました。さらに日本国内では、犠牲者と遺族への義援金も集められました。そして遭難現場付近の岬と、地中海に面するトルコ南岸の双方に、慰霊碑が立てられたのです。

このエルトゥールル号の事故と、日本人たちの献身的な活動は、トルコでは歴史教科書にも記されました。だからトルコの人たちは、いつか日本人にこの恩返しをしたいと思ってくれていたのです。それがあのテヘラン空港の日本人救出となって現れました。

≪神に愛された国、日本≫久保有政著より

 

日本には「情けは人の為ならず」という諺があります。その意味は、「情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」というものです。

古くから日本人の中にはこのような精神があったように思います。大島の島民らが自分たちの命の危険をも顧みず、台風の中でおぼれる人を助けたように、また彼らの大切な食料を喜んで分けてあげたように、私たちも日本人の内にあった美しい心を思い起こし、愛の行動を起こしたいと切に思いました。

 

善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。ガラテヤ6910


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