別れと出会いの季節

公開済み 3月 5, 2017 by 管理人 in アドナイ・エレ

~出会うのに時があり、別れるのに時がある~

私は教会前の交差点で長年、朝の登校時に子供たちの交通指導(緑のおじさん)をさせていただいております。ここの交差点は3方向から子供たちが登校して来て、一緒に行くための友達の待ち合わせ場所にもなっています。さらに、JR喜入駅のは入り口にもあたるので交通量も結構多く、通勤時は少し気を使います。

しかし、もうすぐ6年間毎朝合って声を掛け合ってきた6年生が中学生になると、遠くの集落から来ていた子供たちは駅の裏側にある中学校に直接通うようになり、近所の中学生しか合えなくなってしまいます。

小学校卒業生の中には、「中学生になっても、時々遠回りしてここを通っておじちゃんに会いに来るからね。」と優しく言ってくれる子供たちもいますが、中学生になり部活等が始まると、それどころじゃなくなるのか誰も来てくれたことはありません。

また、9年間毎朝接してきた中学生も、ほとんどが鹿児島市街地や指宿市の高校に進学して、電車通学になるので登校時間帯がかなり早まり、まったく合うことがなくなってしまいます。

今の時期は特に、そのようなことを考えながら小学校の卒業生には、「もうここを通らなくなるね。中学生になっても頑張ってね。」等の声掛けをします。また、中学校の卒業生には、「受験間近だけど、風邪ひかないように、体調管理に気を付けてね。」とか「ちゃんと寝てる?睡眠は大切だよ。」とか、余計なお節介をしています。

わたしから見ると、子供たちはびっくりするほどすごいスピードで成長し、立派な大人になっていきます。私だけが20年以上旧態依然として、交差点に立ち続け、声掛けをしながら子供たちの登校を見続けつつ、確実に老化を進行させていると思います。

しかし、来月になるとピカピカの1年生が登校してくるようになります。そうなると、「○○ちゃん来た?」「何々ちゃん通った?」の質問に答えられるように、新1年生や転校生の名前と顔を覚えなければなりません。ボケ防止にいい刺激になっているかなと期待しています。

今年度も、明るくかわいい子供たちに接しつつ、私も気分だけでも若返れたらいいなと思います。

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。伝道者3:1~2

つまり出会うのに時があり、別れるのに時がある。迎えるのに時があり、送り出すのに時がある。これらすべて神の時であり、素晴らしいタイミングであると思います。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。伝道者3:11


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