神の愛の満たしを求めて

公開済み 8月 6, 2017 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜愛が人を変える~

作:鹿児島リバイバルチャーチ教会員 KM姉

私は母のお腹の中にいたときから母と一緒に教会に通い、幼い頃から神様のことや聖書の御言葉を聞いて育ちました。中学生になったとき洗礼を受けてクリスチャンになり、これまで多くの方に祈られ支えられながら過ごしてきました。その日々の中には、私の信仰に影響を与える出来事がいくつもありました。

私が大学生の頃信仰の面で大きな影響を受けたものの一つに、ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」があります。この小説は愛が人を変えるということが大きなテーマになっています。

この小説の舞台はフランス、主人公はジャン・ヴァルジャンという男で、貧しさのためパンを盗んで投獄された元徒刑囚です。彼は19年間の牢獄生活により社会を憎む荒んだ心を持って出所しましたが、元囚人という理由でどこへ行っても追い出されました。ジャンは、そんな自分のことを初めてあたたかく迎え入れ、罪を許し庇ってくれた司教との出会いによって愛の人へと変えられます。「レ・ミゼラブル」は、そのジャンが過去の罪に追われ、悩み苦しみながら自己犠牲を繰り返し、人間を愛して生きていく物語です。

彼が入れられた牢獄は、彼の心をまっすぐにも謙虚にもせず、かえってねじまげ、頑なで虚ろにしてしまいました。ジャンの心を本当に変えたのは、見知らぬ彼を「わが兄弟」と呼び、彼の罪を庇って「私はあなたの魂を買い取って神に差し上げる」と言った司教の愛だったのです。その後のジャンは人間としての弱さと闘いつつも、愛を実践して生きる強い人に変えられたのです。

 忍耐強く説けば、首領も納得する。柔らかな舌は骨を砕く。箴言25:15

「レ・ミゼラブル」を読む前も分かっていたはずのことでしたが、愛が人を変える力についてこの小説ではっきりと意識したとき、私は大きな励ましを受けました。私は、ありがたいことに、クリスチャン2世として生まれ、洗礼を受ける前から、神様に祈ったり毎週教会で牧師先生方や他のクリスチャンの方々と交わりを持ったりできる環境で育ちました。そして、困った時は神様に祈れるし、身近に相談できるクリスチャンもいました。これは、とても恵まれた環境であったと感謝しています。

ただ、成長するにつれそのことが悩みにもなりました。それはクリスチャンになったあとに自分が「変えられた」「生まれ変わった」という感動的な体験がないと感じることについてです。もちろんこれはあくまでも私の場合です。私は生ぬるい信仰で生きてきてしまいました。恵まれた環境に甘えてきすぎたと思います。その一方で、このままではよくない、変わりたい、という思いもありました。そんな中で出会った「レ・ミゼラブル」のストーリーは、愛がいかに人を変えうるかということを、あらためて思い出させてくれるものでした。

私には、裁く心、赦せない心が人一倍強くあります。これは、神様の義ではなく自我の正義感によるもので、人間的な感情によるものです。私の「正義心」は愛の正反対にあるものです。自分こそが赦された存在、愛されている存在だということは頭ではわかっているにもかかわらず、私はどうして人を赦すことができないのだろう、愛することができないのだろうと思います。

さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。マタイ7:1-2

こんな御言葉を小さいころから聞いているにもかかわらずです。

ときには、礼拝や「レ・ミゼラブル」に影響を受け、「私も人を愛してみよう」と思い立つことがあります。しかしそれも、結局は自分の力で愛そうとしているので愛の見せかけの行動だけで自己満足しているに過ぎないということに気づかされます。しかし、私が本当に神様の愛を素直に受け取ったとき、その愛はこんな私を変えてくれるだろうと思います。

実は、小説のジャン・ヴァルジャンもすぐに変わることができたわけではありません。私もきっと、神様の愛をすぐに実行することはできません。でもそんな弱い私をも忍耐強く赦し、愛して下さる神様の憐れみと恵みに感謝しつつ、神様の愛を求めて、自分が変えられることへの希望をもっていきたいと思います。


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