両手いっぱいの愛

公開済み 8月 28, 2017 by 管理人 in アドナイ・エレ

〜「これくらいかなぁ~」〜

孫たちの夏休みを利用して今年も長男家族が鹿児島まで遊びに来てくれました。来る日は豪雨の影響で成田空港の滑走路がなかなか使えず、出発までロビーで1時間、やっと飛行機に乗り込んでも飛び立つまで1時間待ちで、朝9時ごろ千葉の家を出たのが、途中で昼食・夕食を済ませて、こちらの我が家に着いたのが夜の8時過ぎ、両親はいささか疲れた様子でしたが、孫たちは嬉しそうで次男で4歳の光君は興奮して、お尻を振り振りして踊って見せてくれました。

あくる日、彼らの希望で本屋に問題集や本を買いに行くことにしました。孫たちは両親の車ではなく、こちらの車に乗り込んできます。そして、「おばあちゃん、両手いっぱいの愛っていう歌を知ってる?」と聞き、おばあちゃん(妻)が「知ってるよ。」というと、「あのね、私たちそれに振り付けをしたの、見てて」と言って3人で歌を歌い始めました。私は運転で後部座席の彼らの振り付けは見られませんが、彼らのかわいい歌声を聞いていました。

「ある日、イエス様に聞いてみたんだ。どれくらい僕を愛してるの。」そして続いて、聞こえるか聞こえないかのごく小さな声で「これくらいかな」、右手と左手をほとんど隙間なく合わせてるんだろうなと想像しながら聞いていると、

続いて耳をつんざくような大声で、「これくらいかなぁ~」、

後ろは見えないけれど、今度は彼らが狭い車の中で、明らかに両手をめいっぱい広げて歌っているのが分かりました。

これには、妻も私も大笑いしました。そして、妻が「私この歌を歌うたびに最後は泣きそうになるのに、こんなに笑うなんて初めてだわ。」と苦笑いしていました。

実はこの歌の最後は、イエス様がご自分の両手を大きく広げて見せてくださり、その手のひらに私たちの身代わりに罪を負って十字架にかかって下さった釘跡が見え、それによってイエス様がどれほど私たちを深く愛しているかを知るという歌なのです。

イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」ルカ18:15~17

元気いっぱいで歌っている小さい彼らも両親に愛され、群馬と鹿児島のおじいちゃん、おばあちゃんに愛され、周りの人々に愛されて、さらに彼らが両手を一杯に広げている以上に、神様に大きな愛で愛されている存在であることを知ってもらいたいと思いました。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4

また、実はどんな人でも神様から大きな愛で愛されていることを、一人でも多くの人に知って頂き、喜びの人生を送って欲しいと願っています。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。Ⅰヨハネ4:9~10


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