信頼できるもの・できないもの

公開済み 1月 14, 2018 by 管理人 in アドナイ・エレ

~あてにならないナビだ~

先日の礼拝後、鹿児島を発って福岡の志賀島で行われる聖会に参加してきました。12時半に出発して、5時前に会場のホテルに到着しました。私も妻も学生時代に博多に住んでいたので他の人より街の様子は幾らか分かっているつもりでしたが、流石に50年近くも離れていると、まったく初めての場所に来たようで、戸惑うばかりでした。

しかし、昨年車に取り付けたナビが街の様子をよく分かっている熟練の案内人のように、すいすい導いてくれました。改めてナビのすごさ、便利さに感心しながら導かれるままに運転し、無事到着しました。

その日私たちは会場のホテルの五階に宿泊しました。窓を開けると松林の向こうには砂浜に打ち寄せる白い波が見えました。夏場だったら素晴らしい景色なのでしょうが寒い冬は寒さが倍増しそうで、すぐカーテンを閉めました。しかし、夜中から朝まで波の音が聞こえていました。

聖会は、素晴らしい恵まれた集まりとなり、さらに懐かしい福岡の先生方にもお会いできて、良い時を過ごせました。ただ例年2泊3日で行われていた集会が、今年は1泊2日だったので、明くる日の夕方にはホテルを出発し、次の滞在地の鳥栖に向かいました。

鳥栖までならナビに頼らなくても道は分かると思っていましたが、途中の分岐の所で不安になり、ナビを入れました。すると、どうも来た時と違う道を示すのです。おかしいと思いましたが、少なくとも自分よりナビの方が正確だと思い、ナビに頼っていくことにしました。

しばらく行くと細い車の離合もできないような道に入ります。変だなと思いつつも近道なのかなと思ってナビの示す通りに進みました。すると、目の前に行き止まりのポールが立っているのが見えました。しまったと思っても後の祭り、引き返すしかありません。

道幅は狭く道の片側は柵があり、反対側には木々が林立しています。バックするにはあまりにも細く長い道なので、狭い道を何度も何度も切り返してようやく転回することができ、脱出することができました。

来る時はあれほどナビを誉めて感謝していたのに、一度このような目に合うと、来る時持っていたナビへの絶対的な信頼は吹き飛び、「ナビがナビになっていない、ほんとにあてにならないナビだ」と文句タラタラで走りました。

鳥栖に向かって走りながらも、ナビが示す方向に「ほんとかい?大丈夫かい?」なんてブツブツ言いながら運転し、前のように素直に信頼することはなくなりました。

鳥栖のビジネスホテルで1泊して、明くる日は早々と朝食を済ませ、7時半には出発し鹿児島に向かいました。その日は11時から鹿児島で今年初めてのリバイバル祈祷会があり、鹿児島の親しい先生方が集まることになっていたからです。

鳥栖を出てしばらくして妻が「この車エアコン(暖房)入ってる?」と聞くので、「入ってるよ。」と答え、一応確認してみると、なんと入っていませんでした。私は入ってるつもりだったので何となく暖かかったのですが、妻からは「やっぱり入ってなかったでしょう。そんな気がしてた。」と言われました。

以前、暖房を入れたのは覚えているのですが、どこで消したのか記憶は全く残っていません。少なくとも出発からエアコンは入っていなかったことになり、今回はほとんど暖房なしの旅行になってしまいました。ナビだけでなく私も当てにならないものになってしまいました。

心を尽くして【主】に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3:5~6


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