花の日の起こり

公開済み 6月 10, 2018 by 管理人 in アドナイ・エレ

~花とお爺さん~

教会員のOさんが講壇の机の横に真っ白のユリの花と、白・紫・青色の各アジサイの花をきれいに活けてくれました。私が講壇に立つと「花とおじさん」いや「花とお爺さん」という感じになりますが美しい花の横に立ってメッセージするのはとても良い気持ちです。

神様が私たちを慰め、励まし、平安を与えるために様々な美しい花を地上に備えてくださったことに感謝し、教会では毎年6月第2日曜日を花の日として、感謝の礼拝を行います。

花の日の起こりについて調べると、次のように書かれておりました。

■1866年には、アメリカのメソジスト教会が年会において6月第2日曜日を「子どもの日」として教会行事に加えることを決議しました。この日は少年少女たちの宗教教育を強調する日であったそうです。同時に、一年中で最も多くの花の咲く季節であることから、信者は各々花を持ち寄って教会堂を飾り、礼拝後、その花を子どもたちに持たせて病院を訪問させ、病人を見舞い、また警察(派出所)や各社会施設を慰問したのだそうです。
■この行いは、子どもたちに奉仕と感謝を実地に学ばせるためのものでもありました。このように最初は、子どものために計画されたものが、花の日と呼ばれるようになったのです。そのため、花の日は同時に子供の日として日本の教会においても礼拝が守られ、定められた教会暦となって定着していったのです。

 

私達の教会では、今年も教会員がそれぞれお花を持ち寄って、花の日礼拝が行われます。そして、地域のために働いておられる喜入駅や喜入交番等に感謝をもって届けさせていただきます。

純白やピンク色のユリの花、赤・白・黄色・紫の各チューリップ、赤や黄色のガーベラ、赤や紫のヒヤシンス、カーネーションやヒマワリ、バラやあじさい、その他挙げ始めたらキリがないほど今の時期には沢山の花々が咲き乱れ、見ている者の心を和ませてくれます。

この世にもし花がなかったら、いかに殺風景な世界になっていたことでしょう。しかし、これらの美しい花々でも、人間以外の動物たちには何の感動も与えられないでしょう。これらは私たち人間の喜びのために与えられたものです。花を見ていると神様の人に対する深い愛を感じずにはいられません。

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。ローマ1:20~21

これらの色とりどりの美しい花々は偶然出来上がったものではなく、神の作品です。花々はどんな小さな花でもきれいな色に着飾っています。これらの花が咲き誇って後、枯れて散ってしまっても、また次の年には同じ様にきれいな花を咲かせてくれます。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。マタイ6:28~30

これらの花々を見て、神様のあなたに対する愛を受け取り、心配しないで神に愛されたものとして希望を持って歩んでまいりましょう。


No Response to “花の日の起こり”

Leave a Comment