鹿児島8・1,8・6水害の記憶

公開済み 8月 19, 2018 by 管理人 in アドナイ・エレ

~天使が見える~

最近日本各地でゲリラ豪雨が頻発し、それによる川の氾濫や土砂崩れ等によって甚大な被害が出ております。教会ではそれらの被災者の1日も早い復興を願って祈り、支援金を募らせていただいております。

ゲリラ豪雨という言葉こそありませんでしたが、今から約25年ほど前、鹿児島でも豪雨による災害で車が流され、橋が流されて約50名の方が亡くなられるという惨事が起きました。それが鹿児島8・1水害、8・6水害です。

1993年8月1日私達家族は家を出て(長男は受験のため残る)妻の実家(福岡)に向かいました。高速道路に入り暫く走ると、雨が激しく降り出しました。最初のパーキングエリア・桜島でトイレや買い物をし、出発しました。後でわかったことですが、私たちがパーキングエリアを出た後すぐ閉店し、その10分後ぐらいに桜島パーキングエリアの裏山が崩れて、埋もれてしまったということを聞きました。

私たちが鹿児島空港インターまで来ると、大雨により高速道路が閉鎖になっていました。高速を走れなくても、大分の教会の子供キャンプの講師をすることになっていて、妻の実家からそこに行く予定にしていたので、このまま帰るわけにはいきません。

一般道に入り、空港から横川まで行くと、大雨により道の途中にたくさんの車がトラブルを起こし立ち往生していました。しかし、私たちの車は守られ、濁流が流れる道をなんとか走ることができました。

私たちは大口から山越えで水俣へのルートを走ることにし、降りしきる雨の中を山道に入っていきました。大雨による濁流に混じって、土砂だけでなく、バレーボール大の大きな石が崩れ落ちてくる道を、それを避けながら走りました。それは、まるで両側から流れ込んでくる側溝の底を通っているような感じでした。

すぐ対向車も来なくなり、どんどん心細くなりながら、濁流と土砂が流れ込む道をひたすら走り続けました。不安になる私に妻が「4人の天使が車の四方を守ってくれてるから大丈夫だよ。」と励ましてくれました。そして、何とか水俣の町にたどり着きました。ここまで来られたこと自体奇跡的なことで神様の守りがあったとしか思えません。

しかし、水俣の町も大雨で道が所々川のようになっていました。町を暫く走ると、今度は渋滞に巻き込まれ止まってしまいました。全く前に進めなくなり、後ろからもどんどん車が来て詰まってしまい、前にも後ろにも動けなくなりました。伝え聞くところによると、この先のトンネルが雨で崩れ通れなくなってしまったということでした。

万事休す、早くこの町を出たいのに、どうすることもできません。しかし、一人の人が私のところに来て、「車を歩道に乗り上げてその先にある松林の中の細い道を通って行きなさい。」と言われました。歩道を横切った先の松林の中の道も、かろうじて車が通れるほどの道で、兼ねては車が通るようなところではなかったのですが、緊急事態で急遽そのようにされたんだと思い走りました。しかし、不思議なことに先程のおじさんはいなくなり私たちの車だけで、後に続く車はありませんでした。

松林を出るとスーパーマーケットの駐車場に出ました。そこで、駐車場から出て大通りを走り始めると、なんと右側に崩れたトンネルが見え、トンネルの先に出ることが出来ました。思わず、「主よ、感謝します。」と喜び祈りました。

暫く走ると、今までとはうって変わって、強い日差しの上天気になり、その後は快適に福岡に向かうことが出来ました。

彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。詩篇91:14~15


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