思いやりよ、育て!

公開済み 3月 17, 2019 by 管理人 in アドナイ・エレ

~涙の卒業式?~ 

毎年今の時期になると、各地で卒業式が行われます。教会前を通る小学6年生は中学生になると、大半が違う道を通って中学へ登校するようになるので、ほとんどが会えなくなってしまいます。わずかに教会前交差点を通って登校する中学生も、高校生になるとこの地に高校がないので、JRを使って鹿児島市街地や、指宿市の高校に通うので、ほとんどの人が私が街頭に立つ前に通って行ってしまいます。

それで、この時期は私にとっても、寂しい別れのシーズンとなっています。卒業する小学生たちに「もうすぐ、君たちともお別れだね。」と声をかけると、そのうちの幾人かは、「大丈夫、時々この道も通って登校するから」と言いてくれますが、今まで誰もわざわざ遠回りをしてここを通って中学に行く人はいませんでした。気持ちはあるようですが、部活等があってなかなかなようです。

中学生になった彼らに会える機会は、2年生全員に出前授業でお話をさせていただく1回だけです。この時が彼らの中学生活3年間で唯一の再会の時となります。その時、懐かし気に話しかけてくる子もいれば、少し恥ずかしげに遠巻きにこちらを見ている子もいます。

さて、話を卒業式に戻すと、今から60年程前の私の小学生時の卒業式で女子たちが泣いているのを、不思議そうに見ていた記憶があります。というのも、私たちの田舎の小学校と中学校は、小さな小川を隔てて隣り合わせに建っていて、全員が隣の中学に進学することになっていたからです。

また、学校の近くに住んでいた私は放課後、小学校の校庭でも中学校の校庭でも自由に遊んでいたので、卒業に対して特別な思いはありませんでした。だから、私にとっては5年から6年に進級する時と変わらない程度の思いしかなかったので、あの時女子が泣いていたのかが、どうしても理解できなかったのです。

やがて結婚してからその時の疑問を妻に話しました。すると、「それはあなたが冷たいから分からないのよ。女の子たちは、先生方や校舎などと別れるのが寂しかったのよ。」と言われましたが、妻も卒業式で泣いたことはないと言っていました。

また先日、歌手の氷川きよしさんが小学校の卒業式で号泣したという話をしていました。

彼によると、当時の彼には中学生が大人のように見えていたそうです。自分はまだまだ大人になれないという思いと、小学生でなくなることの寂しさがあったようです。また、彼は中学生になると髪を切って坊主にならなければいけないのも悲しかったと話していました。

私の小学校時代は床屋に行ったり、親にバリカンで坊主に刈ってもらったりしていました。また、ランドセルは2年間で壊してしまい、3年生からは中学生が肩から掛ける白い布カバンを持って通学していたので、中学生になるのに特別な感覚はありませんでした。

今思うと、小学生で自分だけ中学生カバンで学校に行っていることや、小学低学年で坊主頭でいることに関して、特に何も感じない鈍感さが卒業式で泣いている女の子たちの感情を分かってあげられなかったのかなと思います。

これからでも、優しい思いやりのある、人の痛みを共有できる愛の人になりたいと思いました。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。Ⅰコリント13:13

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。Ⅰコリント13:4~7


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