最善の道

公開済み 4月 28, 2019 by 管理人 in アドナイ・エレ

~馬糞を踏んじゃった~

私が生きてきたこの70年は激動の時代だったと思います。私は太平洋戦争終戦後の動乱期に生まれました。私の父は戦時中、満州の鴨緑江ダム建設の技術者として働き、引揚者として帰ってきました。

日本に帰ってきてしばらくして、ダム建設時代の同僚数人が東京で新しく会社を立ち上げるので一緒にやろうと誘われたようですが、都会があまり好きではなかった父はそれを断って、田舎へ田舎へ引っ込みました。

もし、父が東京行きを選んでいたら私は東京生まれの東京育ち、大きな会社勤めの父を持つお坊ちゃん?なんてこともあったかもしれませんが、実は父の田舎好きのせいで、種子島生まれの屋久島育ちという田舎暮らしを強いられ?ました。

しかし、もし東京で育っていたら小学校、中学校、高校、大学と全く違う環境で、全く違う仲間たちと付き合い、今と全く違う生活を送っていたかもしれません。一時は父が東京に行っていたら良かったのにと考えたこともありましたが、今までに関わった人たちや、現在の素敵な周りの人々を含む環境のことを考えると、やっぱりこっちの方が良かったな、父が良い判断をしてくれたと感謝しています。

さて、母は私が種子島で交通事故に遭いかけた話を何度かしてくれました。それは私が2歳ぐらいの時だと思います。家から道に飛び出し、走ってきた車の下に入り込み、履いていた長靴だけがポーンと外に跳んで、運転手が青くなって降りてきたというのです。

しかし、当時種子島では車と言っても馬車のことで、運転手(御者?)が震えながら馬車の下をのぞき込んでいると、私が馬の下から何にもなかったようにちょこちょこと這い出してきたというものでした。

私が3歳の時、私たち一家は屋久島に移転しました。屋久島は種子島よりさらに田舎で、一家が移転した時はまだ電気が通っていなかったということです。父は母にそのことを内緒にしていて、母は着いてから知らされびっくりしたと話していました。

私が小学校に上がる前の家はトイレが外にあり、用を足すためにはいったん下駄を履いて外に出なければなりませんでした。また、お風呂もなかったので父が庭に五右衛門風呂を作ってそこで入浴していました。かろうじて屋根がある程度で壁はありませんでした。

小学低学年時に川べりの公営住宅に引っ越しました。そこにはトイレはありましたが、そこにも水道はありませんでした。母たちは数軒先の井戸端で洗濯をし、洗い物をしていました。しかし、そこの井戸は海が近いので塩分が入って飲み水には使えません。そこで、私たちは学校が終わると近所の小学生と一緒に、小さなバケツや瓶をもって学校まで水くみに行きました。学校の水道も山の小川の水をホースで引いてきただけのもので、衛生面はどうだったかわかりません。

当時はまだ裸足で学校にくる子もたくさんいました。道にはまだ馬や牛が往来していたので、馬糞や牛の糞が落ちていて、踏んづけてしまうことがよくありました。「馬糞を踏んでしまった。」というと、「馬糞を踏んだら足が速くなるよ。牛の糞だったら遅くなるけど」なんていい加減なことを教えられ、半ば信じていました。

今、思うとこれらの一つ一つが得難い体験になっていて、田舎育ちで良かったとつくづく思います。もし高慢な私が都会で育っていたら、このような生活をしている人や、貧しい国の人々を見下げた目で見たかもしれないと思うと、神様は私にとって最善の道を備えてくださったと感謝しております。

【主】は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」エレミヤ31:3


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