心の空虚を満たすもの

公開済み 1月 26, 2020 by 管理人 in アドナイ・エレ

~社会問題・いじめ~

近年いじめによって登校できなくなったり、自殺したりする悲しいニュースをよく聞くようになり、非常に嘆かわしく思います。

文部・科学省の発表によると、10年前は約8万件ほどだったいじめ件数が、今は55万件にも上っていて、そのうち43万件ほどが小学校で起こっているというので驚かされます。

しかし一方、中学校、高校、特別支援学校でのいじめが合わせて残りの10万件余りというのも、小学校のいじめ件数に対してあまりにも少ないように感じます。中学校や高校でいじめが事件化し傷害や窃盗、はたまた自殺に追い込むニュースを聞くにつけて、隠されて表に出ない案件も結構あるように思われます。いじめ自体が隠れてする要素も大きいので、高学年になるほど、表面に出ない陰湿ないじめが増えて見えなくなってしまうのかもしれません。

思うに、私が小中学生のころ、今から55~60年前にはいじめという言葉を聞くこともあまりなく、いじめ自体もほとんどなかったように思います。もちろん、田舎の貧しい地域に住んでいたせいもあったのかもしれません。しかし、当時の都会でも少なくとも今のように多くはなかったように思います。

残念ながら、昔の貧しい時代の方が、共に助け合い支え合って生きていたように感じます。昔は「奥さん。醤油が切れたの、醤油貸して~。」とお隣さんが借りに来て、小さな醤油さしを借りていきます。そして、あくる日は少し多めに入れてそれが帰って来ていました。お店が近くになかったので、そのような貸し借りが結構普通にあったように感じます。

先日はアフリカに行かれた方から、黒いごみ袋に空気を入れて、その口を縛り風船のように紐をつけてそれを引っ張って喜んで走ってまわる小さな姉弟の映像が送られてきていて、昔の自分たちの姿を見るような気がしました。そして、物に溢れた日本の子供たちよりこの子たちの方が幸せなのかもしれないなと思いました。

立派な家に住み、美味しいものを食べ、素敵な洋服を着て、沢山の持ち物を持ちながら、心は満たされないで、それを埋めるために求めさまよい、満たされないむなしさと戦っている現在の先進国の人々の姿を目の当たりにして、私たちはどこかで幸せをはき違えたのかもしれないと考えさせられます。

豊かになり多くのものに囲まれれば囲まれるほど、欲しいものが増えてきて、かえって物に対する乾きが大きくなり、満たされない思いが強くなって、そのモヤモヤを埋めるために、人に対して攻撃的になってくるのではと思います。

真の幸せは経済的豊かさにはなく、愛による交わりによって与えられるものだと思います。昔は、子供たちが学校から帰って来て「ただいま~」というと、家から「お帰り~」との声が返ってくる、それだけでどこか満たされたものを感じていました。しかし、現在はあまりにも忙しく、家庭においても社会においても豊かな交わりが欠乏し、愛される実感が薄れてしまったように思います。

現在は皆忙しくて一人一人に余裕がなく、家庭においてもじっくり愛を流すような環境にないのは、ある意味仕方のないことかもしれません。

しかし、私たちを造り生かしておられる神様は私たち一人一人を愛しておられます。その愛を実感するときに、私たちの心の渇きは随分満たされるものだと実感しています。

 

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4a

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。Ⅰヨハネ4:10~11


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