設計者(神)がいることによって
設計者(神)がいることによって何が変わってくるのでしょうか?
まず、人間の場合で考えてみれば分かりやすいでしょう。
私がもし陶器の湯のみを作ったとすれば、それは中にお茶などの飲み物を入れて、
飲むためであり、
それを使ってキャッチボールをしたり、その中に金魚を泳がせたりするためではないのです。
これは常識といえば常識ですが、
一体だれがその湯のみの使い方、目的を決めたのでしょうか?
もちろんそれを作った私です。
そのような使い方が、湯のみには最適であり、役立つのでそう決めたのです。
もし、湯のみが意思を持ち、しゃべることができるとして次のようなことを言ったらどうでしょう。
「ぼくはお茶が好きじゃない。しかも、なんでここに取っ手がついてないんだ」
もしこのように言ったとしたら、全く使わなくなるか、
それを壊して他の新しい陶器に作り変えるでしょう。
それと同じように、設計者である神も、私たちひとりひとりに目的を持っています。
この考えに対して、進化論では存在の目的はあるのでしょうか?
まず始めに結論を言ってしまうと…ありません!
なぜでしょうか。
それは進化論によれば、私たち人間はアメーバのような単細胞生物から
途方もない時間をかけ、突然変異(偶然)や適者生存によって進化してきたというからです。
この思想こそが、現代人の生きる目的を失わせている大きな原因ではないでしょうか。
ここから導き出される考えは、もちろん生きている目的はないということです。
なぜなら全てが偶然だからです。
これがみんな何となく分かっているので、みな「夢を持て!そうすれば幸せになる!」と
言っているのです。もちろん夢はその場限りで、永遠には続きません。
私たちはどこから来たのでしょうか?
進化論では、祖先をたどるとアメーバ、もっとさかのぼれば無機質なのです。
さらに適者生存について考えてみると、適者ではない=弱者は、滅びたほうが社会のためになるのです。
これを忠実に実行したのが、あの有名なアドルフ・ヒトラーです。
彼はドイツを優秀な民族だけで、作り上げようとし、
障害者を殺し、偏見によってユダヤ人を大量に虐殺したのです。
進化論を純粋に実行すると、ヒトラーの行為は正当化されます。
しかし、だれもがこのことは大変極悪なことだと認識しています。
しかし、進化論は真実ではありません。
この世界にある数限りない被造物(つくられた物)は、創造主の存在を証しています!
私たちには存在の目的があります!
私たちの存在している目的って?
なんで、聖書の神が本当の神だって言えるの?