もりだいすけの救いの証

じめに、神が天と地を創造した。    創世記1:1
神がこの世界を創ったなんてありえない!
これが僕が初めて聖書の話を聞いたときの感想でした。


学校では生物はアメーバのような単純な生命から、何億年もかけてだんだんと、
偶然に進化してきたということを教えられていましたから、
神が意思を持って、人間を造ったということに最初は強固に反対しました。
もう十分すぎるほど進化論は証明されていて、
神がいないこともはっきりしていると思っていたからです。


反対するのにはもうひとつの理由がありました。

それは「もし、自分を造った方がいるのなら、その存在に従わなければならない」と思っていたからです。
それに世界を創った存在なら、彼が善悪を定めるのが当然だということも分かっていたからです。

もし彼が本当の創造主なら、今さら何を言うことができるだろうかと思いました。
なぜなら、僕は18年間も自分を造ってくれた方を知らなかったからです。
言い方を替えると、18年間無視してきたのです。


僕が初めて聖書に出会ったのは、高校三年生のころでした。

その教えてくれた人が、外国人だということもあって、
英語を話せるし、いくぶん中身がある話ができるということもあり、
その人と仲良くなりました。

僕の家族はクリスチャンでもなく、一般的な日本人の家庭で、
先祖が仏教を信じていたし、自分たちの幼いころから慣れ親しんでいるので
仏教を自分の宗教と言っているくらいでした。

別にお経を読めたり、暗唱できたりするわけでもなく、
名ばかりの仏教だなという印象は僕の小さいころからありました。

僕自身はというと、キリスト教には興味は無く、
宗教はみんな同じようなもので、盲目的に拝みたいだけなのだろうと考えていました。


今から考えると世間と変わらず、一般的な意見をもっていたのだなと思います。





ず僕が始めにしたことは、その外国人さんに進化論の証拠と言われるものを
「これはどうなんだ!」と持っていくことでした。

たしか最初は猿人からはじまり、シーラカンス、始祖鳥などを「どーだ」と
言わんばかりに質問ぜめにしました。

そうしたらその人は、冷静にその証拠の欠陥を示してくれたのです。

「なぜ化石化している人間が多く発見され、化石化しているサルも多く発見されるのに、
その中間、人間よりもサルよりも多く存在していたはずの猿人はこんなにも少ないの?」

言い替えると、サルと人間の中間の生物は多くの時間をかけて進化してきたというのに、
なぜそんなに数が少ないのかという質問でした。

理屈から言えば、サルや人間の化石よりも何百倍、何千倍の数の猿人が発見されてもおかしくないはずです。

僕はこの質問に答えることはできませんでした。


これと同じように、その人は他の進化論を支えていると言われる証拠の欠陥を示してくれました。

僕はだんだんと、もしかしたら創造主がいるんじゃないかと考え始めました。

それにもし創造主がいなかったら、自分は偶然によって出来た物質にすぎないと…

僕は神がこの世界を創ったということが自分の中ではっきりすれば、
聖書をそのまま信じようという決意はしていました。

これがはっきりすると、どんな奇跡も問題じゃなくなります。
なぜなら、すべてを創った神なら何でもできるからです。




そういったことを考えながらも、時間はたち受験勉強の季節になりました。
その時は毎日忙しく、聖書のことも忘れていました。

しかし、無事大学にも合格し、とてもヒマな日々が訪れました。

今まで、目の前に勉強というものがあったけど、
急にすることがなくなってしまいました。




の時、高校時代にその人にもらった聖書に目がつきました。
「ヒマだし聖書でも読んでみるか。神の言葉だというなら何か起こるかもしれない」
そう思ったからです。

僕は読んでいくうちに、自分の罪がどのようなものかを明らかにされていきました。
神は少しの悪、罪を裁かずにいることはないということも分かりました。
その一方で、自分の罪を隠さず告白して、悔い改めた者は豊かに赦されるということも分かりました。

僕は聖書の描く通りの罪人でした。
神の言うことは正しく、自分が間違っていたと分かったのです。
僕はいつ滅ぼされても仕方がないと考えるようになりました。

事実、自分よりもささいな罪を犯した人が、旧約聖書では裁かれていたからです。
しかし、神は救いの道を用意してくださったのです。

イエスキリストがもうすでに自分の罪を負って、十字架にかかったのです。
そして僕の罪のために彼が死んで、三日目に復活したということを信じると救われる
ということを知り、信じました。




の瞬間に言葉に言い表せないほどの喜びがあふれてきました。
部活の試合に勝った時の喜びでも、女の子に告白された時の喜びでもありませんでした。
心から喜んでいたので、家に帰っても「ありがとう神さま。すごい!」としか言えませんでした。

きっと家族は何事か不思議に思っていたことでしょう。
しかし隠すことのできないほどの喜びだったことを覚えています。

今では、神さまとの和解を果たして、死んだ後には天国が待っているのです。
これ以上に喜ぶべきことがあるでしょうか。
これ以上に永遠に続くことはあるでしょうか。
僕は知りません。

イエスキリストを信じ、自分をクリスチャンと名乗り、教会に行き出してから
僕の両親は「お金を取られるんじゃないか」とか
「若いから熱中しているだけじゃないのか」と言います。
しかし、イエスキリストとその言葉という堅い土台に立っているので、
僕は揺らぎません。神は真実な方で、いつもそばにいてくれるので、
家族が反対しても僕は彼に従うことをやめません。

しかし今でも、少しでも早く彼らが救い主を知って救われることを祈っています。


今でも罪を多く犯します。しかし、僕の中にいる聖霊が「悔い改めなさい」
と教えてくれます。
そして、罪を告白すると神はこんな愚かな僕をまた赦してくれます。
18年間、神さまを知らなかったことも赦されました。
もっと長い間神さまを知らない人も赦してもらえます。
どんな大きな罪でも、本当に自分が悪いと知り、悔い改めると神さまは赦してくださいます。

赦されたことだけではなくて、神さまは僕に何が清いことかを教えてくれます。
そして、日々僕を変え続けてくださいます。

今神さまを知ってください。
早ければ、早いほどそれだけ、神さまと歩む祝福された人生が長くなります。

あなたも祝福の生活、永遠の目的のある生活、愛の神と歩む生活をおくりませんか?






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