【メッセージ】みことばの光によって

「『あなたがたは、これらのことがみな分かったか。』弟子たちは、『分かりました』と言った。そこで、イエスは言われた。『だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。』」 (マタイ13:51-52)

イエスさまは弟子たちの輪の真ん中にすわって、まことの信仰について、また天の国について、弟子たちにじかに教えておられました。その最後に、イエスさまは『あなたがたは、これらのことがみな分かったか。』とお尋ねになります。主が十字架におかかりになるおりの弟子たちの行動から察するに、弟子たちがこのときに、ほんとうに分かっていたのかについては?(疑問符)がつくかもしれません。しかしながらこのときは、イエスさまのみことばの力に圧倒されたのでしょう。弟子たちはみな、『分かりました』とこたえるのです。

先週の23日には、イエスさまから「麦と毒麦」のたとえ話を私たちは聞きました。ルターは天国に召される二年前、つまり1544年に、この聖書個所で次のような説教をしています。

「悪魔はけっして遠く離れて立っておりません。いつの間にか種をまいて行きます。それで芽が出てきますと、すぐそのことがわかります。・・・そこで、キリストがこのようなことが起こると警告してくださっていることが唯一の慰めです。ヨハネも彼の手紙の中に書かれているような困難に直面しながらも、慰めを得ることができました。・・・最善であるべきはずのものが最悪のものにかわるというのが、この世のならわしです。天使が悪魔になりました。使徒のひとりがキリストを裏切りました。キリスト者が異端者になります。神の民から、キリストを十字架に釘づけする悪人が出ました。」

このイエスさまの警告は、私たち一人ひとりに与えられている慰めです。恵みによって麦としていただいているにもかかわらず、知らず知らずのうちに毒麦の本性を現わし、周りの人たちをつまづかせていることがあるからです。私たちにできることは何でしょうか。私たちも毎週の礼拝で、イエスさまから「天の国」について教えていただいています。天の国とは、神の国とは、「神さまのご支配」を表わしています。神さまの恵みと憐れみのご支配の中にだけ、私たちの平安があります。ですから、私たちにできること、それはあの父親が信仰告白したように、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」と、主に憐れみを願うほかはありません。神さまは「憐れんでください」と願う者に、つまり、主から信仰を与えられた者に対し、全てをご存知の神さまは、「すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場」において、すべての良きものを与えてくださいます。

ルターは『善い行いについて』(1520年)という文章のなかで、「信仰において生じ、語られ、考えられる事柄はいっさい神への奉仕となる」と語り、「さあ、喜んであなたのパンを食べ、気持ちよくあなたの酒を飲むがよい。あなたの業を神は受け入れていてくださる」と述べています。十字架のみ恵みを知る者にとっては、「こんな私を憐れんでください」と祈る者にとっては、すべてが良きものとなるのです。なぜなら、まことの信仰が与えられているところには、《いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい》(第一テサロニケ5:16-18)というみことばが結実しているからです。 そのために、私たちは主のみことばから決して離れてはなりません。「新しいもの」とは新約聖書の、そして「古いもの」とは旧約聖書のみことばです。みことばの光の中を歩ませていただくとき、神さまは《万事が益となるように共に働》いてくださるのです。どんなときも私たちを執り成していてくださるイエスさまにただひたすら信頼し、今週も共に過ごさせていただきましょう。