【メッセージ】みことばの力

メッセージ要旨 「みことばの力」   マタイ14:13-21, 詩編145ほか

 本日、私たちに与えられた御言葉は、四つの福音書の全てに記されている「五千人の給食」と呼ばれる出来事です。そして3日後、8月5日(水曜日)の日課、マタイ15:32-39には、「四千人の給食」が記されています。どうして、“五千人”と“四千人”の、同じような二つの出来事が相次いで記されているのでしょうか。結論から申しますと、「五千人の給食」はユダヤ人を、「四千人の給食」は異邦人を対象にした出来事と言われています。

 それは、それぞれの給食が行われた場所が示しています。マタイ15章のイエスさま一行の行程をたどってみます。21節以下で、ティルスとシドンの地方に行かれ、《しかし、子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです》と信仰告白したカナンの女の信仰をイエスさまはほめられました。つづく29節以下で、《そこを去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた》とあります。それはガリラヤ湖の東側の異邦人の地でした。なぜなら《群衆は・・・イスラエルの神を讃美した》と書かれているからです。ユダヤ人ではない、異邦人の讃美のことばです。それに対し「五千人の給食」はユダヤ人の地。今、ガリラヤ湖の西岸のタブハの町に「パンと魚の奇跡の教会」が建てられています。

 「五千人の給食」では《残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった》とあります。この「十二」という数字、それはイスラエルの十二部族を表わします。また「四千人の給食」では《七つの籠いっぱいに》になります。聖書で、「七」という数字は、「罪の赦し」を示唆する数字です。兄のエサウが赦してくれることを願い、《七度地にひれ伏し》謝罪したヤコブ(創世記33:3)、主に《七つの悪霊を追い出していただいた》マグダラのマリア(マルコ16:9)、《七回どころか、七の七十倍までも赦しなさい》と主に言われたペトロ(マタイ18:22)、などを思い起こされるでしょう。

 マタイ15:32で、イエスさまは《もう三日もわたしと一緒にいるのだから》と言われます。このまま帰してしまったら《途中で倒れてしまうかも》《弱りきってしまうかも》と、イエスさまは彼らが《かわいそうだ》と言われます。「スプランク二ゾマイ」。まさにはらわた痛む、断腸の思いで、一緒についてきた異邦人たちを憐れんでいてくださいます。主が異邦人を、つまり、私たちを《かわいそうだ》と深く憐れんでくださっているのです。同じお言葉を、「五千人の給食」でも語られます。14:14で《大勢の群衆を見て深く憐れみ》と記されています。つまり、ユダヤ人も異邦人も、イエスさまは全ての人々を、はらわた痛む思いで、断腸の思いで深く憐れんでくださっています。

  この奇跡の御業で、イエスさまは《あなたがた(自身)が彼らに》と、弟子たちを用いられます。おそらく草の上に家族ごとに座っていた人々に、弟子たちは《食べる物》、つまり《命のパン》(ヨハネ6:48)を届けました。《倒れようとする人、・・・うずくまっている人》(詩145:14)のもとに、弟子たちは命の糧である御言葉を届けました。《倉から新しいものと古いものを取り出す》ようにして、与えられた主の御言葉を届け、人々を満ち足らせる働きにあずかりました。私たちも同様です。主ご自身が、「みことばの力」によって私たちを召し出し、慰め、励まし、満たしてくださり、また新たにし、この弟子たちのように、私たちを再び、隣人のもとに派遣をしてくださっているのです。 (乾和雄)