今日のできごと
2016/6/16(木)

昨日は祈祷会でした。
祈祷会のメッセージは、エステル記8章からでした。
8章では、ユダヤ人絶滅の勅書の取り消しを、エステルが王に願います。
いかに敵ハマンが死んだといっても、まだ勅書は有効でした。
それを、無効にする必要があったのです。
ハマンが生きていて、なお実権を握っていたら、
勅書を無効にすることに関して、ハマンの妨害は避けられなかったでしょう。
しかし、勅書を作った大元のハマンがいなくなった今は、
妨害する大元がないのですから、王に願うだけでよかったのです。
ハマンを恐れる必要などありませんでした。
ただ勅書の取り消しを、王に願うだけでよかったのです。
王は、それを直ちに承諾します。
その文書は、モルデカイによって作成され、
御用馬の早馬に乗った急使によって、各地に届けられました。
各地でユダヤ人は喜び祝ったということです。
私たちも、ここから教えられます。
キリストは、すでに敵に勝利しているのです。
諸悪の大元である悪魔に、キリストがすでに勝利しておられるので
キリストに従う私たちも、勝利するのです。
大元に勝利していても、その悪しき影響によって
被害を被っているところが多々あります。
そこを回復してゆくことが、私たちの務めです。
敵の手によって、神から遠ざけられてしまった人々を
神の元に回復していく使命が、与えられています。
罪の中で滅びに向かっている人々に、福音を届ける使命が
与えられているのです。そのままでは滅んでしまいます。
滅びないように、救いがあるという知らせを届けなければなりません。
それはモルデカイが送った勅書などとは、比べ物にならないほど
重要なものです。その人の永遠がそこにかかっているからです。
永遠に生きるか滅びるか、それを知らせる福音を伝える使命を
私たちは担って生きているのです。
【今日の聖書】
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。
ところで、信じたことのない方を、
どうして呼び求められよう。
聞いたことのない方を、どうして信じられよう。
また、宣べ伝える人がなければ、
どうして聞くことができよう。
遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。
「良い知らせを伝える者の足は、
なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
ローマの信徒への手紙 10章13〜15節