因果応報ではなかったヨブの苦しみ
1.ヨブは考えられないような苦しみを受けた
旧約聖書に、ヨブという人が出てきます。
ヨブは、考えられないような苦しみを体験します。
妻以外の家族を失い、全財産を失い、ひどい病気に悩まされます。
妻からは、「神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言われ
訪ねてきた友人たちからも、何か罪を犯したから神が罰を与ているのだ
という意味合いのことを言われて、責められるのです。
苦しみの中で、誰からも理解されず、
逆に誤解されて責めたてられるということほど、
つらいものはありません。
2.ヨブは誤解され友人たちに責め立てられた
ひとり目の友人、テマン人エリファズはこう語ります。
考えてみなさい。
罪のない人が滅ぼされ
正しい人が絶たれたことがあるかどうか。
ヨブ記 4章7節
続いてふたり目の友人、シュア人ビルダドも語ります。
あなたの子らが
神に対して過ちを犯したからこそ
彼らをその罪の手にゆだねられたのだ。
ヨブ記 8章4節
最後の3人目の友人、ナアマ人ツォファルも同様です。
また、あなたの手からよこしまなことを遠ざけ
あなたの天幕に不正をとどめないならその時こそ
あなたは晴れ晴れと顔を上げ、動ずることなく
恐怖を抱くこともないだろう。
ヨブ記 11章14〜15節
3.ヨブの友人たちが間違っていた
ヨブは、罪の結果苦しみを受けているのだと思われていたのです。
しかし実は、そうではなかったのです。
ヨブの苦しみは、因果応報のゆえではありませんでした。
友人たちが、それを誤解していたのです。
最後に神ご自身が、友人たちの誤解を解かれます。
そして3人の友人たちに対して、怒りの言葉を発せられました。
主はこのようにヨブに語ってから、
テマン人エリファズに仰せになった。
「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。
お前たちは、わたしについて
わたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。
ヨブ記 42章7節
神が、ヨブを罰する意味で苦しみに合わせていたわけでもないのに
あたかもそのように語ってしまったことに対して、
神は3人の友人たちを怒られました。
むすび. 罪のため神に裁かれていたと誤解されていた
自分の罪の裁きの結果として苦しんでいたわけでもないのに、
ヨブは神に裁かれているのだと、友人から誤解されました。
「罪のためではないのに、罪のための苦しみだと誤解される」
これこそ、救い主イエス・キリストの十字架の姿を予表するものだったのです。
救い主イエス・キリストもまた、ヨブと同じように、
自分の罪のために苦しみを受けていると誤解されました。
ヨブにまったく罪がなかったかと言えば、
そうではありませんでした。
苦しみの中で、ヨブの隠されていた罪が露になっていることは確かなことです。
ヨブ自身も、完全に100%正しい人とは言えませんでした。
けれども100%完璧に正しかったのに、罪ありとされた方がおられるのです。
その方こそ、十字架で死刑にされたイエス・キリストなのです。
【今日の聖書】
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、
わたしたちはいやされた。
イザヤ書 53章4〜5節