主に用いられた「足を癒された人」
ペトロは、議員や長老や律法学者たちの前で
大胆にイエス・キリストを証ししています。
そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。
「民の議員、また長老の方々、
今日わたしたちが取り調べを受けているのは、
病人に対する善い行いと、
その人が何によっていやされたかということについてであるならば、
あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。
この人が良くなって、
皆さんの前に立っているのは、
あなたがたが十字架につけて殺し、
神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、
イエス・キリストの名によるものです。
この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、
隅の親石となった石』です。
ほかのだれによっても、救いは得られません。
わたしたちが救われるべき名は、
天下にこの名のほか、
人間には与えられていないのです。」
使徒言行録 4章8〜12節
議員たちは、驚きました。
ペトロとヨハネは元々漁師に過ぎず、
聖書の専門家でもなければ、学んでいた者でもなかったからです。
議員や他の者たちは、
ペトロとヨハネの大胆な態度を見、
しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、
また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。
使徒言行録 4章13節
もはや彼らは、ペトロの語る言葉に
言い返すことすらできなかったのです。
なぜならイエスがメシアであるという言葉と共に、
そこに「以前は足が不自由なため物乞いをしていた人」が
癒やされて立っていたからでした。
足の不自由だった物乞いをしていた人は、この時大きく用いられていたのです。
物乞いをしてる40歳過ぎの男性が、
どうして神に用いられることがあるだろうか?
と人々からは、思われていたことでしょう。
しかし癒やされた彼がそこにいたからこそ、
ペトロの説教は、大いに説得力を持ち
イエス・キリストが真の救い主であることが、裏付けられていたのです。
用いられたのは、物乞いをしていた人だったのです。
足が不自由で歩けなかった人だったのです。
最も力のある20代、30代を歩けないまま過ごし、
40歳を過ぎていた人だったのです。
自分にはお金がない、歩くこともできない、
若い時期をとうに過ぎてしまった、
もう神に用いられることはないだろう、と勝手に
決めつけてしまってはならないのです。
神は、この人を用いられたことを心に留めておく必要があります。
【今日の聖書】
しかし、足をいやしていただいた人が
そばに立っているのを見ては、
ひと言も言い返せなかった。
使徒言行録 4章14節