冤罪
1.ペトロは異邦人の救いを体験した
何も悪いことをしていないのに、罪をかぶせられることを冤罪と言います。
良いことをしたのに、それが間違っている悪いことだと非難された場合
その人は傷つきます。怒りがこみあげて来るかもしれません。
ペトロは、コルネリウスの家に神によって導かれそこで福音を語ります。
すると、異邦人たちが聖霊に満たされるのです。
ペトロたちは、「異邦人も救われる」ということをそこで教えられました。
割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、
聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、
大いに驚いた。
使徒言行録 10章45節
ペトロは、コルネリウスの家において、
異邦人たちが、聖霊に満たされるために、
神によって、大いに用いられました。
2.ペトロは異邦人の家で食事したと非難された
ところがエルサレムに帰ってくると、「異邦人の家に行って食事をした」
と言って、教会の主だった人々から非難されるのです。
ペトロがエルサレムに上って来たとき、
割礼を受けている者たちは彼を非難して、
「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」
と言った。
使徒言行録 11章2〜3節
当時のエルサレム教会の、異邦人に対する認識は
「異邦人=偶像を拝む神に従わない罪人」というものでした。
<異邦人が疎まれていた理由>
・異邦人と交流するということは、偶像崇拝を容認し、
自らも偶像崇拝に陥ってしまうことになる
・かのソロモン王も、異邦人の女性を妻にして最後は偶像崇拝に陥ってしまった
・アッシリア捕囚やバビロン捕囚は、まさに異邦の神々を取り込み、
異邦の神々に仕え偶像崇拝に陥ってしまったからに他ならない
だから、神ならぬ偶像を拝む異邦人と交わりを持つなどもってのほか
ということだったわけです。
ペトロが非難されたのは、そのような理由からでした。
ですから教会の人々も「割礼を受けていなければ救われない」という認識だったわけです。
「救われるためには、ただ信じるだけでなく割礼を受けていなければならない」
という条件付きの認識でいたのです。
3.ペトロは順序立てて経緯を説明した
神の働きをして帰ってきたにもかかわらず、待っていたのは非難でしたが、
ペトロはその非難に対して、どういう対応をしたでしょうか?
順序立てて詳しく、その経緯を説明しているのです。
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。
使徒言行録 11章4節
その結果教会の人々の態度は、非難ではなく神への賛美へと変わりました。
この言葉を聞いて人々は静まり、
「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、
命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
使徒言行録 11章18節
むすび.非難に対する冷静な対応
自分が間違っていないのに、非難されることがあるかもしれません。
そんな時は、この時のペトロを思い起こしましょう。
ペトロは別段怒るわけでもなく、冷静に順序立てて説明したのです。
そのことによって教会全体は、神の救いの計画が異邦人にまで及ぶ
ものであるという、大切な真理を学ぶことになったのです。
もしペトロが怒ってどこかへ行ってしまっていたら、違ったでしょう。
いつでも、冷静沈着な態度が求められます。
たとえ、冤罪のようなことになったとしても、
焦らず怒らず、主を信頼しながら冷静に対応するのです。
何よりも、すべてのことを神がご存知なのです。
何が正しくて、何が間違っているか、誰が誤解しているかも
すべて神がご存知なのです。
【今日の聖書】
どこにも主の目は注がれ
善人をも悪人をも見ておられる。
箴言 15章3節