罪に対して死んで生きる
葬儀で、棺の中に横たわる遺体に向かって
どんな言葉を語っても、無反応です。
悲しい話をしても、涙を流すこともなく
笑いを誘うようなことを言っても、微笑むこともなく
怒鳴って怒りの言葉を浴びせかけても、穏やかな顔のままです。
死んでいるというのは、そういうことです。
わたしたちは、罪に対して死んだ者です。
罪の誘惑がやってきても、あたかも遺体が無反応なように
反応をしないのです。罪に生きるのではないのです。
逆に、義に生きるのです。キリストによって義とされた者として
正しいことを追い求めて、正しいことをするために生きていきます。
罪を犯して、隣人を傷つけ死に至らせるように生きるのではありません。
隣人を真に生かすように、正しいことをして生きるのです。
罪のもたらす報酬は死ですが、罪に死んで義に生きる者の行き着く先は
永遠の命です。限りある人生を、罪に死んで生きていきましょう!
【今日の聖書】
そして、十字架にかかって、
自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。
わたしたちが、罪に対して死んで、
義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって、
あなたがたはいやされました。
ペトロの手紙一 2章24節