なぜ羊飼いたちだけだったのか?
1.救い主の降誕の夜、天使は羊飼いだけに現れた
イエス・キリスト降誕の夜、天使が現れたのは
人の大勢いたであろう、ベツレヘムの街の中でなく
野原で羊の番をしながら野宿していた、羊飼いたちの所だけでした。
なぜ、羊飼いたちの所だけだったのでしょうか?
天使は、「民全体に与えられる大きな喜び」を告げましたが
民全体の喜びであるなら、ベツレヘム中の人々に告げたり
エルサレム中の人々に告げても、良かったのではないでしょうか?
それほど大きな喜びにもかかわらず、ほんの一握りの
羊飼いたちだけに告げただけと言うのは、一体どういうことなのでしょうか?
2.もし大勢に告げていたらヘロデの耳にも入っていただろう
もし、エルサレム中の人々に告げていたとしたら
当然ヘロデ王の耳にも、速やかに入っていたことでしょう。
とするとどういうことが起きていたでしょうか?
残虐なヘロデのことです。家畜小屋の場所を突き止め
その夜のうちに刺客を送って、無防備な幼子イエスを
殺して、闇に葬っていたかもしれないのです。
残虐なヘロデ王の統治の元で、救い主が生まれねばならないという
極めて危険な状況だったのです。だから家畜小屋であり、羊飼いたちだけだったのです。
密かにヘロデ王に気づかれることなく、生まれてくる必要があったのです。
3.降誕は特定の人だけが知る事実だった
神の計画は、静かに人知れず救い主を降誕させることにあったのです。
救い主の降誕は、実にこっそりとひっそりとなされました。
降誕の事実を、大々的に広範囲に告げ広める必要はなかったのです。
幼子イエスの元に、礼拝に行くことはできても
まだ話ができない赤ちゃんのイエスから、神の国について話を聞くことも
病気を治してもらうことも、悪霊を追い出してもらうこともできなかったのです。
まだその時が、来ていなかったのです。
ですから大勢に告げ知らせる必要もなく、ほんの一握りの
特定の人々だけが知っていれば良かったのです。
むすび.降誕ではなく十字架と復活こそ民全体に知らせるべきこと
ベツレヘムでの救い主降誕の事実は、そんなに素晴らしい出来事だったのですが
その時知らない人がいても、大丈夫でした。
降誕の事実は、その時に全ての人が知らなくてもよかったのです。
全ての人が本当に知らねばならなかったのは、イエスの十字架と復活でした。
これこそ、知らないと信じることができずに滅んでしまう
最重要事項だったのです。
【今日の聖書】
天使は言った。
「恐れるな。
わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている
乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなたがたへのしるしである。」
ルカによる福音書 2章10〜12節