わたしをマラ(苦い)と呼んでください
1.ナオミ(快い)は自分をマラ(苦い)と呼んでくださいと言った
当初ナオミはベツレヘムの人たちに、
「自分をナオミ(快い)ではなくマラ(苦い)と呼んでください」
と言っていました。
ナオミは言った。
「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。
全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。
ルツ記 1章20節
モアブの地に行き、夫を亡くし息子ふたりを亡くし
ただ嫁のルツだけを連れて、やもめとしてベツレヘムに帰ってきたわけです。
失望落胆が、ナオミの心の中を占領していたことがわかります。
2.ナオミ(快い)のままでよかった
けれども、ナオミのままでよかったのです。
嫁ルツはボアズと結婚し、オベドを産みます。
その時に女たちはナオミに、祝福の言葉を贈るのです。
女たちはナオミに言った。
「主をたたえよ。
主はあなたを見捨てることなく、
家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。
どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。
その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。
あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」
ルツ記 4章14〜15節
3.マラのような状況を通っても最終的にはナオミになった
ナオミが夫と共に、異教の地モアブへ行ったことも、
夫と息子たちの死後、モアブの女性ルツを連れて帰ってきたことも
ベツレヘムで貧しくて、落ち穂に頼らなければならなかったことも、
神がその背後で働かれ、神の導きの中にあったことだったのです。
神の導きは、苦難の中でも最善だったのです。
夫も二人の息子もなくして、貧しく辛い状況でしたが
だからと言って、神に見捨てられていたわけではなかったのです。
神はその苦難の中にも共におられ、導かれていたのです。
最後に神によって、大きな祝福がナオミにもルツにも用意されていたのです。
むすび.すべてが神の大きな計画の中にあった
ナオミの嫁ルツの産んだ子オベドの孫が、ダビデなのです。
近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、
その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。
オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。
ルツ記 4章17節
そしてそのダビデの家系から、救い主イエス・キリストがお生まれになったのです。
神は人の思いを超えて、素晴らしいことをなされたのです。
悲しみや苦しみはありましたが、その果ては大きな喜びに続いていたのです。
【今日の聖書】
女たちはナオミに言った。
「主をたたえよ。
主はあなたを見捨てることなく、
家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。
どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。
その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、
老後の支えとなるでしょう。
あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁が
その子を産んだのですから。」
ルツ記 4章14〜15節