記録することの重要性
1.名前と人数の羅列
ネヘミヤ記の7章7節以降、人々の名前と人数の数字の羅列が続きます。
彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルドカイ、
ビルシャン、ミスペレト、ビグワイ、ネフム、バアナと共に帰って来た。
イスラエルの民の男子の数。
パルオシュの一族二千百七十二人、シェファトヤの一族三百七十二人、アラの一族六百五十二人、
パハト・モアブの一族、すなわちイエシュアとヨアブの一族二千八百十八人、
エラムの一族千二百五十四人、ザトの一族八百四十五人、ザカイの一族七百六十人、
ビヌイの一族六百四十八人、ベバイの一族六百二十八人、アズガドの一族二千三百二十二人、
アドニカムの一族六百六十七人、ビグワイの一族二千六十七人、...
ネヘミヤ記 7章7〜19節
こんな数値の羅列に何の意味があるのだろう?と、思われる方もおられるかもしれません。
ここは飛ばして読んで行こうか、と思いたくもなってしまいます。
しかしこの記録は、当時の人々にとって非常に重要なものでした。
2.名簿は帰還民か否かの判別のために必要になった
これは、バビロン捕囚になった人々のうち
「最初にエルサレムに帰還した人々の名簿」だったのです。
この人が確実にバビロンからエルサレムに戻ってきたという、証拠になっていました。
わたしは心に神の指示を受けて、貴族と役人と民を集め、
家系に従って登録させようとしたところ、最初に帰還した人々の名簿を発見した。
そこには次のように記録されているのを発見した。
ネヘミヤ記 7章5節
ですから、この名簿に掲載されていない人は
「捕囚から帰還した人物ではない」ということになっていたわけです。
この名簿に載っているか否かで、帰還民か否かが判断できたわけです。
3.名簿に載っていないがゆえに祭司職に就けない人々がいた
ネヘミヤの時代の帰還民たちのうちに、祭司たちもいました。
けれども祭司ということになっているにもかかわらず、帰還民であるという
証拠のない人々もいました。
また祭司のうちに、ホバヤの一族、ハコツの一族、ギレアド人バルジライの娘の一人をめとったので、
その名が由来するバルジライの一族は、自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、
祭司職に就くことを禁じられた。
ネヘミヤ記 7章63〜64節
この名簿に、自分の家系が載っていなかったために、ホバヤの一族、ハコツの一族、バルジライの一族は、
てっきり祭司だと思って祭司職に就けると思っていたのが、覆されてしまいました。
祭司職に就くことを禁じられたのです。
むすび.ネヘミヤ記から記録の重要性を教えられる
「最初にエルサレムに帰還した人々の名簿」というのは、このように大きな影響を及ぼすものでした。
ですからこの名簿を作成する際も、細心の注意がなされて記載漏れがないように記録されたと思います。
また記録の保管も、「最初にエルサレムに帰還した人々」の時から
ネヘミヤの帰還した時に至るまで、大切に保管されていたことでしょう。
神の民の記録は、このように注意深く作成され保管し続けられていたのです。
記録というのは、このように重要な一面を持っているのです。
もし「一人ぐらい抜けていてもいいか」というような、適当な作成姿勢だったとしたら
「本当は祭司の家系なのに祭司職につくことができない」というような、
重大な結果を招いてしまうことに、なりかねなかったのです。
今の時代にも、同じことが当てはなるのではないでしょうか?
公に保管される記録を作成する場合、細心の注意を払って作成し
その保管の際にも、大切に保管していくということが求められているでしょう。
【今日の聖書】
また祭司のうちに、ホバヤの一族、ハコツの一族、
ギレアド人バルジライの娘の一人をめとったので、その名が由来するバルジライの一族は、
自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、祭司職に就くことを禁じられた。
ネヘミヤ記 7章63〜64節