ハムは父の権威を踏みにじった
1.ハムは父の醜態を嘲りの目で見た
ノアの息子ハムは、父が酔って裸で寝ているのを見て
ふたりの兄弟セムとヤフェトに、それを告げに行きました。
そこには、父の姿を笑いものにしようとしていた思いが表されています。
あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。
創世記 9章21〜22節
2.セムとヤペテは父の醜態を覆った
けれどもセムとヤフェトは、父の裸を見ないようにして
父親の裸を、覆ってあげたのです。
セムとヤフェトは、父親の尊厳が踏みにじられないようにしました。
セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、
後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。
二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。
創世記 9章23節
セムとヤフェトには父ノアに対する敬意が、しっかりとあったのです。
たとえ酔って裸で寝てしまっている状態であろうと、そんなことには関係なく
父親に対する敬意を失わず、父親の権威を認めていました。
そこが、ハムと大きく違っていた点です。
父の権威を軽んじなかったということは、神の権威を軽んじなかったことになります。
ですから、神へのおそれがそこに存在していたことがわかるのです。
3.ハムは父の権威と共に神の権威を軽んじていた
一方父親を嘲ろうとしたハムには、父親の権威を軽んじる心がありました。
これはとりもなおさず、父に権威を与えた神の権威を軽んじることになっていました。
単に人間の父親を軽んじたというのではなく、父親に権威を与えた神を軽んじたのです。
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。
神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。
ローマの信徒への手紙 13章1節
結局ノアがハムのしたことを知った時、ハムの子カナンは呪われてしまうのです。
ハムの、軽率な父親に対する嘲笑の行為が
ハムの子供のひとりに、呪いを及ぼす結果になってしまうのです。
むすび.人に対して行うことは神に対して行うこと
ハムのしたことは、単に父親に対してしたことで終わっていませんでした。
父親に権威をお与えになった、神の権威を軽んじることにつながっていたのです。
ハムの父親を嘲笑する行為は、ハムの信仰の姿勢を表していました。
この出来事は、ハムに「神への畏れ」と「神の権威を畏れる思い」が乏しかったことを
如実に示す出来事になっています。
ノアの呪いが厳しかったのも、そのためだったのです。単なる私恨ではありません
そこで、王は答える。
『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』
マタイによる福音書 25章40節
人に対してしていることは、実際は神に対してしていることになっているのです。
それは最終的に、神のみ前で裁かれることになります。
悔い改めて、隣人に対する罪から離れる必要があります。
【今日の聖書】
ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。
「カナンは呪われよ
奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
創世記 9章24〜25節