1.イエスの示された愛「父よ彼らをお赦し下さい」に倣う
@イエスの全人類への愛「父よ彼らをお赦し下さい」
友のため命を捨てる愛、罪人にもかかわらず愛する愛
裁くのではなく「父よ彼らをお赦し下さい」という愛
私が彼らの罪を身代わりに負いますという愛(ルカ23:34)
Aステファノの祈り「この罪を彼らに負わせないで下さい」
自分を殺そうとしているのにもかかわらず愛する愛
裁くのではなく「父よ彼らをお赦し下さい」という愛と同じ
自分が死んでも相手が生きることを願う愛 (使徒7:60)
B「父よ彼らをお赦し下さい」という愛で愛しなさい=命令
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさ
い。これがわたしの掟である。(ヨハ15:12-13)→私たちも
2.私の全隣人に対して「父よ彼らをお赦し下さい」と祈る
@私の周囲の隣人は全て罪人(ロ3:10)私に必ず罪を犯す
どんなに善良で親切そうな隣人でも罪人だと認識する
人は皆罪を犯した(ロマ3:23) →完璧な人など皆無
私に罪を犯さないはずがないと想定して赦す備えをする
Aひどいことをする人を愛し,とりなし祈ることが私への命令
実際に被害を受けた時御言葉を思い起こし愛して祈る
敵を愛し自分を迫害する者のため祈りなさい(マタ5:44)
「父よ彼らをお赦し下さい」と祈ることを神は願っている
B怒り憎み報復するという世の中のやり方に流されない
世の中は怒りと報復に満ちている→数多の裁判と非難
報復するこの世に決して倣わない、真似しない(ロマ12:2)
世に流され怒りに燃えやすい自分を神に変えていただく
3.私はイエスに「父よ彼をお赦し下さい」と祈られた存在
@イエスは私の罪を身に受けて十字架で死んでくださった
私がまだ罪人であった時イエスが死んで下さった(ロ5:8)
その罪は甚だ大きかった←罪の大きさを正しく認識する
1万タラントン(6千億円)にたとえられている (マタ18:24)
A隣人の目の塵を取りたい→自分の目の丸太は?(7:3)
隣人の悪しき行いを正そうと一生懸命にならない
それはザアカイに「貧しい人に施せ!」というのと同じ
彼はイエスの愛を受けて自発的にそうなった(ルカ19:5)
B私が主にされたように「父よ彼らをお赦し下さい」と祈る
私も「父よ彼らをお赦し下さい」の祈りを受けて救われた
むすび.隣人も完璧ではない罪人だから愛し赦し続ける
私たちの祈りも「父よ彼らをお赦し下さい」であるべき
イエスのように「父よ彼らをおゆるし下さい」と祈ろう
「彼らは自分が何をしているのかわからないのです」
「父よ彼らを正しく裁いて罰して下さい」というのでなく