1.この世には偽りが満ちている
@「偽りがない」の「偽り」は「演じる」という意味を持つ言葉
聖書の中で「愛には偽りがあってはなりません」と語られている
「偽りがない」という言葉の「偽り」は、「演じる」という意味を持つ言葉
劇で役を演じる=本来の自分でない偽りの自分を演じるということ
例) ファリサイ派:自分は正しいと見せかけて、実際は自分の罪を隠していた
ファリサイ派の人々は、立派な自分を演じて生きていた。
そこに見られるのは自己義認であり、見せかけの自分。
これは本来の姿ではなかった。
A偽りを演じてしまうのは、神の目ではなく人の目を気にするから
なぜ偽りを演じてしまうのか?
本当の自分は罪深く弱い存在だから、本当の自分を知られたくない
要するに人の目を気にするから、「自分は立派なんだ」という演技をしてしまう
本当の自分を隠したい、人に知られたくない、
本当の自分がわかったら、人に嫌われてしまう、軽んじられてしまう
だから理想的な立派な自分を示すために、演じてしまう
保身のために、演技をして生きてしまう
ファリサイ派の人々には、「嫌われたくない」「軽んじられたくない」
「私は立派だ!と示したい」という気持ちがあったことが伺える
B立派な自分を演じて本当は罪深い自己を隠し人を欺く
礼儀を失しないことは重要な事であるが
人の顔色を伺い、ご機嫌を取りお世辞や社交辞令を語るのが礼儀ではない
人の顔色を伺い、ご機嫌を取りお世辞や社交辞令を語るのは偽りであり嘘になってしまう
パウロを総督フェリクスの前で訴えた時の、弁護士テルティロの言葉は
総督に対するお世辞が、にじみ出ている(使徒24:1-2)
心の中では少しも思ってないのに、総督の機嫌を損ねないよう気に入られようとして語っている
これは礼儀でも何でもなく、偽りである
総督のことを愛し敬うのではなく、単なる保身の表れであって
そこにあったのは単なる偽りであり愛ではなかった
2.偽ることは愛の逆
@偽って相手をだますことは自分に利益をもたらすが、相手は害を被る
偽りを演じることは、れっきとした「偽り」の行動である
「偽り」という罪は、その後に自分にも相手にも深刻な結果をもたらす
みせかけや振りをすることは、「偽り」の一つであって深刻な結果をもたらす
偽りが深刻な結果をもたらした例1 イサクをだましたヤコブ
ヤコブは父イサクを自分は愛のエサウだと言って偽ってだまし、
神の祝福をエサウから横取りしてしまった
その結果、エサウから命を狙われることになった
偽りが深刻な結果をもたらした例2 ヤコブをだました伯父ラバン
ヤコブにラケルを妻として与えると言いながら、姉のレアを与えた
ラケルもレアもヤコブの妻になることになってしまうが
ヤコブ家にもたらされたのは、妻同士の争いと軋轢
利害関係が対立した時に、自分の利益のために相手をだます
自己の利益にはなるが、相手を傷つけ不幸にする結果につながる
自分の利益を求めて偽ることは、相手を被害者にしてしまう
それは愛の逆 偽ることは愛の逆であって、愛の逆がしたい時に人は偽る
真の愛は、自分の利益を求めない(コリントの信徒への手紙1 13章)
偽りを演じることも、最終的には深刻な結果をもたらす
Aイエスを貶めるための心にもない偽りの褒め言葉をイエスは見抜いていた
ファリサイ派の人々も、あたかもイエスを敬っているかのような言葉を語った
それは、あたかもイエスを尊敬しているかのような振りをする演技に他ならなかった
「先生あなたは真実な方です」(マタ22:15-17)
本当の狙いは、イエスを言葉の罠にかけることだった
偽ることは愛の逆
この場合も、「罠にかける」という「愛の逆」がしたいがために偽っている
イエスは偽りの言葉をしっかりと見抜いておられた
イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。
「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。」(マタ22:18)
B罪人である人間は愛ではなく偽りを行ないやすい存在
罪人である人間は、愛ではなくその逆である罪を犯しやすい
愛の逆である偽りを、語りやすく行ないやすい
偽りの自分を演じていたファリサイ派だけの問題ではなく、今の私たちの問題
聖書には偽りを行ってしまった人々の例が、たくさん記されている
人間は偽りやすいが、それは憎しみや争い殺人に発展する
偽ることは愛の逆であって、愛の逆がしたい時に人は偽る
旧約聖書には偽りを語り行なった人々が、少なからず出て来る→その偽りの結果は悲惨
アブラハム:保身のために妻を妹と言った → ゲラルの王アビメレクは死ぬところだった
ヤコブ:イサクを騙し祝福横領 → エサウに憎まれ恨まれ命を狙われた
ヨセフの兄:父ヤコブを騙してヨセフを売ったことを隠した → 父ヤコブに大きな嘆き悲しみをもたらした
ポティファルの妻:夫を騙してヨセフに濡れ衣を着せた → 冤罪にしたヨセフが大臣になった
その他、数え上げればきりがない
偽りやすい人間は、愛しているふりをしてしまう
みせかけのうわべだけの愛の言葉、行動をとってしまう
神に対してもあたかも深く愛しているかのような祈りの言葉で祈るが、心が違う
人に対しても、あたかも深く愛しているかのようにふるまうが
その心が、全く別なところにある場合がある
罪をもって生まれた私たちは、かくも偽りやすく愛の逆を行いやすい
3.キリストは人を愛して真実を語り偽りを語られなかった
@たとえ反発を受けたとしても相手にとっての最善を偽らずに語った
ファリサイ派の人々に、はっきりと自己義認は悪と語った (マタ23章)
金持ちの議員に、彼の欠点をはっきりと語った(ルカ18:18-23)
ペトロに対して、裏切る予告を明確に語った(マタ26:34)
日本では「角が立つ」ことのないようにと言われるが、
イエスの罪を指摘する言葉は、的確でまさに「角が立つ」言葉だった
しかしその言葉によって罪が明確に示され、悔い改めを促す結果になっている
たとえ相手に嫌われようとも、偽りを交えず相手のために事実を語る
その姿勢が、一貫して貫き通されていた
それこそが相手に対する真の愛であって、自分に死に相手を生かす愛だった
Aその人の一番痛い所を的確に突いた言葉を偽らずに語った
サマリアの女に対してイエスは「あなたの夫を呼んで来なさい」と語った(ヨハ4:16)
イエスは彼女の機嫌を取ったり、彼女に気を使って過去に触れないようにはしていなかった
角が立たないようにしておらず、彼女の過去と現在に直接触れていた
彼女の一番痛い所を的確に突いた言葉を語り、彼女は驚いたが
最終的に救いに導いている
社交辞令を交えたりお世辞を言ったりせず、真実をそのまま語るところに救いがもたらされている
B偽らず真実を語る時人は救われるが嫌われ排斥される事が多い
イエスは真実を語り、相手の反発を気にされていなかった
反発を避けるために、お世辞を言ったり社交辞令を言ったりしてはいない
たとえ話を使って、真に聞こうとしている人しか意味が解らないようにしたことはあっても
偽りを語ったことは一度もなかった
誇張表現も、割り引く表現も、一切なく、ずばり的を射た言葉を語り
その人に罪を悟らせ、救いに導いておられた
そのように真実にその人の最善を語る時、大きな反発もまたやって来る
イエスは反発を受けられ、ののしられあざけられ悪霊の頭とまで言われた
そして最後には、十字架に架けられ殺される結果になった
しかし偽りを混じらせない真実な言葉こそ、イエスの愛の言葉だったのである
むすび.演じたり偽ったりしない真実な愛で神と人を愛そう
実際はそうでもないのに、あたかも相手を愛しているような自分を演じる時、
それは、相手を愛していないことになってしまう
相手に嫌われたくないという保身から、お世辞や心にもない褒め言葉を言うのは偽り
隣人愛は演じるものではなく、心からその人を愛する決断をすること
できないことはできないままでおいておき、無理に演じてはならない
偽りを捨てて、本心で語り本心で行動することが誠実な愛の言葉、行動となる
信仰においても同じことがいえる
実際はそうでもないのに、あたかも熱心に神を信じているように演じる時、
それは、神を愛しているふりをしているだけで、愛していないことと同じになる
信仰や隣人愛は演じるものではなく、真実な心で行なうものである
偽りの演技ではなく、真実に誠実に神と人を愛していく事が大切
世に流されず、お世辞や社交辞令など偽りに属する言葉を使うことをやめる
神と人を、偽りのない誠実な愛で愛していく (1ヨハ3:18)
神に対して:かっこいい祈りや流暢な祈りをして、自分をかざらず信仰深さを演じずに
ありのままの心からの祈りをしてゆく
神は言葉ではなく心を見ておられる
人に対して:お世辞や社交辞令でなく、大事な福音であるキリストを明確に伝える
嫌われることを覚悟で、罪についてもはっきりと語って行く
罪をはっきりと指摘しなければ、救いに導くことはできない
「こわいごまかしぷ」
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こ |
誇張しない |
そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。...我々は、自分がいなごのように小さく見えた...」(民数13:33)
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正確に語る |
わ |
割り引かない |
「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません。」(ヨシ7:3(後半))
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正確に語る |
い |
偽らない |
そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。(マタ26:74)
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嘘で保身しない |
ご |
ごまかさない |
彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。(ヨハ12:6)
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神が見ている |
ま |
まどわさない |
悪人や詐欺師は、惑わし惑わされながら、ますます悪くなっていきます。(2テモ3:13) |
真理だけを語る |
か |
かっこつけようとしない |
そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。(マタ23:5) |
ありのままの自分でいる |
し |
知ったかぶりをしない |
ヨブと親しいテマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルの三人(ヨブ2:11(抜粋))
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知らないことは語らない |
プ |
プライドを捨てる |
律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。〜 見せかけの長い祈りをする。(マタ23:14(抜粋)) |
人の下になって仕える |