2025年3月23日  「愛は隣人を赦す」
          ヨハネによる福音書 13章1〜17節
1.突然のイエスの洗足にペトロは戸惑い断りあわてた
@突然のイエスの洗足に、ペトロは戸惑った
 「主よあなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」(6)  先生に自分の足を洗わせるなど失礼極まりない  「そんな失礼な事はさせたくない!」→当然そう考える
A突然のイエスの洗足を、ペトロは断った
 「わたしの足など決して洗わないでください」申し訳ない  「わたしこそがあなたの足を洗うべきです」それが普通
B意外なイエスの回答に、ペトロはあわてた
 「洗わないならわたしと何のかかわりもないことになる」(8)  「えっ!」あわてたペトロ「主よ、足だけでなく手も頭も」(9)  イエスとの関係が決して切れないようにという切実な思い
2.イエスに足を洗って頂かなければイエスと結ばれない
@足を洗うことはイエスの示された比喩だった
 「既に体を洗った者は全身清いから足だけでよい」(10)  いつ体を洗った?実際には洗っていない→比喩的表現  「体や足を洗う」というのは「罪の赦し」を表していた
Aイエスに罪を赦して頂かなければイエスと結ばれない
 イエスに罪を赦される→イエスと結ばれる→ぶどうの枝に  全身を洗う=イエスを心に迎え入れる=イエスを主とする  足を洗う=日々の罪をイエスに悔い改めて赦して頂く
Bイエスを主として心に迎え入れても日々罪を犯してしまう
 2種の罪 根本的罪=神を拒否,派生的罪=殺,姦,嘘,…  イエスを主として受け入れる→根本的罪の解決=救い  派生的罪→赦された後も罪の性質は残存→罪が噴出
3.イエスは罪の赦しを与えるために世に来られた
@イエスは十字架で死ぬことによって神の愛を示された
 イエスの十字架の死こそ全人類の全身を洗う事だった  人は神を拒否した罪を自分自身でどうすることもできない  いかに良い事を積み重ねてもだめ→十字架以外にない
A人生で最も大切な事はイエスによる赦しを受け取る事
 イエスに全身と足を洗ってもらう=イエスの愛を受け取る  イエスに全身も足も洗わせない=イエスの愛を拒む  洗足を拒む=イエスの愛を退けイエスと無関係に→滅び
B洗足はイエスの赦しを真に受け取ったという信仰を示す
 互いに足を洗い合わなければならない (ヨハ13:14)  隣人の足を洗わない=人の罪を赦さない=救いの拒否
むすび.隣人を赦す事はイエスの愛を受け取った証拠
 イエスの赦しを受け取った事は人を赦すことで表される