2025年3月30日  「愛は隣人に与える」
          使徒言行録 20章35節
1.パウロの宣教こそ与える宣教だった
@パウロ、ミレトスでエフェソ教会の長老に語る(使20:17-)
 ・投獄と苦難が待ち受けるはずのエルサレムに向かう  ・福音を力強く証しするという任務を果たそうとしている  ・聖霊が教会の世話をさせるため群れの監督者と任命
A教会の苦難を予告し目を覚ましていなさいと警告
 ・外から残忍な狼どもが来て群れを荒らすだろう  ・邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者も現れる  ・神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねる
Bパウロは彼の宣教が「与える」宣教だったと語る
 ・他人の金銀や衣服をむさぼったことはない(33)  ・この手で生活のため&共にいた人々のため働いた  ・イエスの言葉は『受けるよりは与える方が幸いである』
2.神は最高の贈り物御子イエス・キリストを与えて下さった
@神ご自身が最高のものを与える愛を示された
 神は独り子をお与えになった程に世を愛された(ヨ3:16)  神の愛は最高で最善で完全な贈り物を与える愛  しかも無条件で罪人にあるにもかかわらず与える愛
Aイエス・キリストはご自分の命を私たちに与えて下さった
 ゲッセマネの祈りは自分の願いでなく自分に死ぬ祈り  神に見捨てられ十字架で苦しみつつ大切な命を与えた  嘲り罵る人々に対しても何の見返りもなく与えている
B神の与える愛こそが私たちの行なうべき愛の模範
 私たちは十字架によって神に「愛の模範」を示された  「自分の十字架を負って」自分に死んで隣人を愛する
3.神の愛をしっかり受け取って隣人に与えて宣教する
@隣人に与えるものがなければ与えることはできない
 食べ物のない空の器は飢えた人を生かせない  水の入っていないコップは渇いた人を潤せない  まず自分自身が持っていなければ人に与えられない
A与える物が豊かにあっても愛がなければ与えられない
 ザアカイは裕福だったが与える気持ちは救われた以降  キリストの愛を受け取って初めて隣人に与えようと変化
B神の愛をきちんと受け取ることが与えるための土台
 イエスを心の王座に迎え入れることによって受け取る  赦しの大きさを正しく認識→正しい自己認識が必要  へりくだって自分の罪を認めて悔い改めて愛を受け取る
むすび.神の愛をしっかり受け取って隣人に与えて行く
 与える愛はどれ程神に愛されているかを知ることから…