1.隣人はたとえ悪を行っていても愛するがその悪は憎む
@悪を行っている人であっても憎まずに恨まずに愛する
イエスの罪人に対する姿勢は憎まず受け入れる姿勢
共に食事をしたりザアカイの家には宿泊までも(ルカ19)
悪を行っているその人自体を憎んではならない→愛する
A悪を行っているその人を愛するがその悪とは妥協しない
その人自身と、その人が行なっている行動とは別物
その人を愛するからといって、悪も受容してはならない
姦淫の現場で捕らえられた女性に対する言葉(ヨハ8:11)
B世間では悪を行っている人自体を憎んでしまっている
本人が悪をやめれば良いだけ。決して憎んではならない
悪人を滅ぼそうとする言葉を戒められた (ルカ9:54-55)
悪を行っている人を憐れみ悪から離れ去ることを願う
2.愛の方イエスも悪に対しては徹底的に憎まれている
@宮清めに見られる強烈で徹底的な悪に対する姿勢
神殿の境内で売られていた羊や牛をすべて追い出し
両替人の金をまき散らしその台を倒し「わたしの父の
家を商売の家としてはならない」と言われた(ヨハ2:14-16)
A宮で商売をしていた人を叱ってはいるが憎んでいない
イエスは神殿で商売する行動をやめさせた←悪を憎む
イエスは商売をしていた人を憎んだのではなかった
人に対しては一切の危害を加えていない,商売道具だけ
Bイエスは悪を決して容認しなかった 厳しく戒められた
「まあいいか」というような優柔不断な態度はとられない
いつも「良い事は良い悪い事は悪い」という明確な区別
私たちが悪を選んでしまう時イエスはとても悲しまれる
3.イエスに心を明渡し自分を捨て人生を聖霊の支配下に
@聖霊は私を悪と妥協せずに常に悪を憎むように変える
聖霊が自然に悪に対して妥協しない聖い生き方に導く
自分の努力では悪に負けやすいが聖霊に助けられる
些細な事と思える悪にも隠れた悪にも誘惑にも勝てる
A聖霊は悪を行う人を憎まず愛されたイエスを想起させる
十字架の言葉「父よ彼らをお赦しください」(ルカ23:34)
悪人が死ぬのを喜ばず立ち帰る事を喜ぶ(エゼ33:11)
B聖霊は私に悪を行う人々を愛させその回復を祈らせる
聖霊は私を憎しみから解放し悪をした人のため祈らせる
聖霊が臨まれると悪人を赦し愛するように私を変える
むすび.悪を行なっている人を憎まず愛し悪だけを憎む
隣人を愛する時その悪は受容しないで徹底的に退ける