2025年6月29日  「愛がなければわたしに何の益もない」
          コリントの信徒への手紙一 13章1〜3節
1.愛を動機としていなければ無益な人生を送ることに
@異言、預言、知識、信仰、施しも愛がなければ虚しい
 愛がなければ異言も単なる騒音に過ぎない(1コリ13:1)  愛がなければ預言も知識も完全な信仰も無に等しい(2)  愛がなければ全財産を施しても命を捨てても無益(3)
Aすべての言動に於いて愛が動機でなければ無益
 賞賛:どんなに人に賞賛されても、愛がなければ神の前に無益  地位:どんなに立派な地位を得ても、愛がなければ神の前に無益  神でなく人の賞賛を求める ≠ キリストの僕 (ガラ1:10)
Bすべての行動は神への愛と隣人愛を動機とすべき
 言動において愛が土台にあるなら、それは神の前に益   小さな行動も、愛を動機としているなら神に賞賛される  何が神に喜ばれるかをわきまえるように(ロマ12:2)
2.世の中は愛を動機としない富追及の自己中心型社会
@競争社会は他よりも自己を上にする→実績賞賛社会
 資本主義では自由競争。競合他社に負けるなと煽る  学生は受験勉強で人よりも偏差値をあげないと不合格  スポーツや音楽では技術が上でなければ賞賛されない
A努力も他者に対する競争心や妬みを動機としている
 家や学校では、努力の大切さを教育されるが  どんな努力も、その土台が愛でないなら無益  努力の土台が、人に対する競争心であるなら無益  人が才知を尽くして労苦するのは仲間に対する競争心  を燃やしているから → 空しく風を追うよう (コヘ4:4)
B自己の利益を目的とした富を追求する生き方の蔓延
 ×神も富も→神と富とに仕えることはできない(マタ6:24)  富に依存→倒れる,神に従う→葉の様に茂る (箴11:28)  富を愛する者は収益に満足しない→空しい (コヘ5:9)  富を愛する=自分の欲に生きる=与えるのではなく自分自身の蓄財   →富に依存しても倒れるだけ 富は人に真の満足を与えない  神を愛する=神の御心に生きる=自分の欲に死に隣人に与える人生   →神により頼むなら祝福を受ける 神は人に真の満足を与える
3.愛を動機としてすべてのことを行う有益な人生を送る
@愛を動機としない事は永遠に残ることのない虚しい事
 愛を動機としない=自分の利益を追求=自己中心  神の前に虚しく無に等しい=天国に何も積まれていない  たとえイエスを信じて天国に行っても「報い」が何もない
A「地上にではなく天に富を積みなさい」:イエスの命令
 地上に富を積まず天に積みなさい (マタ6:19-20) 天に積む=富を神にささげ隣人に与える  単に献金せよ与えよというのでなく、愛を動機として献げ与える  どんなに立派に見える奉仕や献金も、神と人への愛を動機としていなければ無に等しい
B人生で行った愛の行いだけが天国に残っている
 いつまでも存続するものは信仰と希望と愛の三つ  このうちで最も大いなるものは愛 (1コリ13:13)  人生で行なった愛を動機とした行いだけが、天国に残っている  太陽月星の輝き夫々違う(15:41)ように 天における各人の報いも異なる  人生で、どれ程神と隣人に対する愛の行いをしたかが問われている  救いに良い行いは一切関係ないが、天の報いは人生における良い行ないに比例する
むすび.ほかの人の益を求め愛に生きよう (1コリ10:24)
 愛がなければわたしに何の益もないが、愛が動機なら  それは神に覚えられており天に富を積むことになる  愛を動機とした言動こそが天での報いとして返って来る  どんなに人に褒められようとも、愛が動機でなければ虚しい  どんなに小さな行動でも、愛を動機としているなら神に喜ばれること  すべての言動が、愛を動機とするものになるよう神に祈り求めていこう!