1.どのように祈るべきか?
@イエスの御名による祈りは父なる神に直接届いている
イエスを心から信じたものは神の子とされる
「お父さん、ダディー」と神に呼びかけることができる
父なる神は喜んで私たちの祈りを聴いていて下さる
Aそれでは神にどのように祈ると良いのだろうか?
・どのような時にも(絶えず)祈りなさい (1テサ5:17)
・聖霊によって祈りなさい
・すべての聖なる者たちのために祈り続けなさい
Bどのような祈りの態度を改めるべきか?
・気が向いた時だけ苦しい時だけ祈りたい時だけ祈る
・自分の肉の欲望の満足だけを求めて祈る
・好きな人のためだけ祈るがそれもすぐにやめてしまう
2.具体的にどのように祈るのか?
@どのような時にも(絶えず)祈りなさい
祈りたくない時祈れない時にも祈る→異言を用いて祈る
異言は聖霊の賜物だから神に求める (ルカ11:13)
A聖霊によって祈りなさい
聖霊の導きの下に祈りなさい。(ユダ1:20)
聖霊は心の奥底にある必要言葉にできない願いを神の
御心に完全に一致する形で神に差し出してくださる
Bすべての聖なる者たちのために祈り続けなさい
すべての聖なる者たちは激しい霊的戦いの中にいる
聖霊による祈りは戦いの祈り→家族、職場、地域を変革
祈祷課題は全聖徒たち。キリストの勝利を宣言し祈る
3.すべての聖なる者たちのために祈る
@誰ひとり完全無欠で元々力強いクリスチャンはいない
神の助けがなければひとたまりもない
祈りによるとりなしがすべてのクリスチャンにとって必要
大きく用いられている人ほど敵の攻撃対象 例:パウロ
A好き嫌いで祈りの対象を決めず神の最高傑作と認識
「好き」は「愛」ではなく肉の思いであり自己中心的
パウロを認めたくない人がいたがパウロは用いられた
すべての聖徒は神の計画の中で立てられ導かれている
B自分自身のためにも皆に祈ってもらう必要がある
当然人のために祈るだけでなく人から祈られる必要も
互いにすべての聖徒たちのために祈り合う
むすび.すべての聖徒のために祈りつづける
私たちには使命が与えられている=全聖徒のため祈る