1.伝統的な教えが必ずしも正しい教えとは限らない
@イエスの時代のイスラエル人は律法を規準としていた
なぜローマ帝国の支配下で苦しむことになったか?
先祖たちの罪と神の裁きの結果→捕囚→王国消滅
とにかくもう神に背いてはならない→律法順守せよ!
A神に従おうとする心は良かったが的をはずしていた
律法を守る事こそ神に仕えることだという動機で行動
パウロは当初迫害する事こそが神に従うことだと誤解
熱心に神に仕えていたが正しい認識ではない(ロマ10:2)
Bイエスはイスラエル人の伝統的行動が的外れと指摘
言い伝えのために神の掟を破っている (マタ15:3-6)
子供の頃から教えられてきたことが実は間違っていた
律法学者達とファリサイ派=偽善者=不幸 (マタ23:13)
2.定着した間違った教えを正すのは並大抵のことでない
@人ははじめに教えられた事が正しいと認識してしまう
パウロは当初イエスが異端者だと頑なに決めつけていた
彼の誤解を解くためにはイエスとの出会いが必要だった
律法学者たちの先入観「伝統=正しい」→伝統順守!
Aイエスは伝統でなく神の言葉に立ち帰れと教えた
神の掟を捨て人の言い伝えを固く守っている(マル7:1-8)
自分の言い伝えを大事にし神の掟をないがしろにした(9)
受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている (13)
Bイエスに指摘されても直すどころか逆に反発してきた
「伝統でなく」わたしの言うことを聞いて悟りなさい (14)
汚れた手で食事をしてる(5)→外から人を汚せない (15)
ファリサイ派はイエスを罠にかけようと相談 (マタ22:15)
3.同じ境遇にある人々が救われることを心から願う
@ユダヤ人パウロも同族のユダヤ人たちに反発された
宣教旅行の各地でユダヤ人たちがパウロに反対した
パウロに反対していたのはパウロの同族であるユダヤ人
Aパウロは自分も同じだったから彼らの心を理解していた
自分も同じ誤りの中にいてそこから真理に導かれた
何とか自分と同じように彼らも救われて欲しいと強く願う
元々神に選ばれた民!なおさら救われて欲しい (ロ9:4)
Bパウロは同族が救われることを心から願い祈っていた
深い悲しみ絶え間ない痛み (ロマ9:2) 滅びに向かう同族
同胞のためなら神から見捨てられてもよい (ロマ9:3)
むすび.昔の自分と同じ境遇にある隣人の救いため祈る
マイナス体験が逆に同じ境遇の人の救いに用いられる