1.主に喜ばれることとは一体何なのか?
@「何が主に喜ばれることか考えなさい」と命じられている
何が善いことで神に喜ばれ完全なことであるか(ロ12:2)
何が主に喜ばれるかを吟味しなさい (エフェ5:10)
人に喜ばれるためでなく神に喜んでいただく(1テサ2:4)
A「何が主に喜ばれないことなのか?」を考えてみる
主の律法に反する=主に従わない=罪=喜ばれない
モーセの十戒の反対 神を無視,偶像崇拝,…,殺し,
姦淫,盗み,嘘,貪欲→言葉や思いだけでも(マタ5:22,28)
B主に喜ばれる=主に喜ばれないことを一切しない
律法の禁止事項を一切行なわない=罪を一切犯さない
本来は人の力では主に喜ばれることは絶対に不可能
2.主に喜ばれることはイエスを心に迎えることから始まる
@律法を行おうとすればする程できない→罪の認識だけ
文字は殺す(断罪→裁き) 霊は生かす→赦し (2コリ3:6)
律法に救いはないがキリストに救いがある←十字架
罪を自覚して悲しむのでなく神による罪の赦しを受ける
A律法を守れない私たちの罪を赦して下さる「神の愛」
神の願い a) 罪を赦す神の愛をしっかりと受け取りなさい
b) 罪の赦しを与えるイエスを心に迎え入れなさい
c) イエスの言葉に従って人生を生きていきなさい
B主に喜ばれることはイエスを心に迎えることから始まる
良い事を積み重ねる前に罪が清められている必要あり
モーセの書が読まれる(律法で義→罪認識)→心に覆い
主に向き直る→罪の赦し→取り去られる (2コリ3:15-16)
3.主の御心である『愛』を行うことこそ主に喜ばれること
@律法の根=神と隣人への愛=主の御心(ロマ13:8-10)
人を愛する者は律法を全うする、愛は律法を完成する
神を愛する=a) 信仰・信頼 (ヘブ11:6) 信仰がなくては
b) 従順 (サ上15:22) 従順>犠牲、神の言葉>私の思い
A神は天で私たちに報いを沢山与えたいと願っている
神は御自分を求める者たちに報いてくださる(ヘブ11:6)
救われて天に帰った時そこで報いを受け取る(2コ 5:10)
そのことを信じる→神の喜ばれることをどんどん行いたい
B特に「滅びゆく人々」を愛して救いへ導くことが急務
主の願い=すべての人々の救い (1テモ2:4)=主の喜び
悔改める罪人について大きな喜びが天にある(ルカ15:7)
迫害されても(マタ5:12)敵対しても(マタ5:44)愛して伝道
むすび.ひたすら主に喜ばれる者でありたい 報いがある
感謝し神に喜ばれるように仕えていこう(ヘブ 12:28)