1.「情け深い」という言葉は「使う」から派生している
@「情け深い」(口語訳)なのか「親切」(新改訳)なのか
クロウマイ:使う→クレーストス:使用に耐える・役に立つ
→クレーステュオマイ:人に使われる・役に立つ
=人がやってほしいと思っていることを私がする=親切
A人のために自分が使われる=僕のように人に仕える
自分自身を自分のために使うのではなく人のために使う
良きサマリア人:傷の手当て→自分のろばに乗せ宿屋に
→費用を支払い更に追加請求も容認 (ルカ10:33-35)
Bイエスの生涯こそ人のために自身を使い尽くされた生涯
全人類の救いのためにご自分の命を十字架で捧げた
人のためにご自身の命までもすべて使って下さった愛
2.隣人の必要を知りそれに最善に応えるため自分を使う
@イエスは徴税人トップのザアカイの必要を知っていた
「ザアカイ、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(ルカ19:5)
「ひとりの人として認めてほしい」→イエスは彼を認めた
◎ 彼の真の必要=魂の救い→イエスによって実現(9)
Aイエスはサマリアのシカルの女性の必要を知っていた
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」(ヨ4:16)
5人の夫があったことへの「うしろめたさ」からの解放
◎ 彼女の真の必要=魂の救い→イエスによって実現
Bイエスは自分を裏切ったペトロの必要を知っていた
裏切ってしまったことのゆるし→愛の眼差し (ルカ22:61)
裁きでなく赦しの眼差し→外へ出て激しく泣いた (62)
3.たとえ自分の損になっても隣人のために自分を使う
@イエスは非難されてもザアカイのために彼の家に入った
「罪深い男のところに行って宿をとった」 (ルカ19:7)
自分への非難,嘲笑,軽蔑も気にせず隣人のために行動
人を生かすため自分に死んで自分を人のために使った
A嘲笑する人々のためにも十字架で命を使い尽くされた
議員たちはあざ笑って言った「自分を救え」(ルカ23:35)
兵士たちも侮辱して言った「自分を救ってみろ」(36-37)
犯罪人の一人も言った「自分と我々を救ってみろ」(39)
Bイエスを信じた使徒たちも同じように自分を使った
ステファノは石で打ち殺そうとする人々のために祈った
パウロも自分の人生を異邦人の救いのため使い続けた
むすび.愛は隣人のため自分自身の命までも使い尽くす
愛は親切=自分に死んで人のために自分を使い尽くす
ステファノのように聖霊によればその愛が実行可能に!